もうバイク雑誌なんていらない?
(/07/04)
僕的なイメージとしては、
RIDING SPORTの発行元として認識している
ニューズ出版が、モータースポーツ系の雑誌では最大手の
三栄書房に吸収合併されるんだとか。
■『株式会社 三栄書房』と『株式会社 ニューズ出版』は1つになりますhttp://www.sun-a.com/info/〜また、株式会社ニューズ出版のすべての債権債務は、株式会社三栄書房が完全に継承することをお約束いたします。〜・・・まあつまりはそういうことなんだろう。文面は円満な吸収合併、前向きに生きていきますの論調だが、実際のところは生き残りのためにやむなく身売りという体ではないかと伺える。また、これまたクルマを中心とした趣味系雑誌の発行元として有名な
ネコ・パブリッシングは、
バイク雑誌事業「だけ」を切り離し、バイクブロスとの共同出資会社に移管(トカゲのしっぽ切り)したとか。
バイク自体がろくに認知もされず、社会的な貢献もなく、経済的なマス・パワーすら持たない日本で、それに関連した書籍が売れるわけもなく。モータースポーツ?なにそれの国日本である。昨年だったか、レース雑誌としては老舗中の老舗、サイクルサウンズが休刊(実質廃刊)され、バイク雑誌業界の斜陽さ加減が顕になったわけだが、このぶんだと残りのバイク雑誌(ライダースクラブとか?BIGMACHINEとか?あとなにがあったっけ。バリバリマシン・・・月刊オートバイ・・・・)もいつどうなりますことやら。
※追記
そういう僕も、バイク雑誌なんて本当になにひとつ買わなくなったもんね。一時はRIDING SPORTにレーシングヒーローズにGRAND PRIX ILLUSTRATED云々かんぬん買っていた時期もあったけど、それもいまや昔。バイクやレースに関する情報はいまやネットにあふれているし、どうせ一時の暇つぶし以上の必要性のある情報でない限りは、書籍として物理購入する必要性もなし。それに、思うんだけど、書籍化(雑誌化)ってのはある種の作り手の自己満足だったりエゴの具現化だったりもするんだよ。「俺の仕事が本になった!」確かにこれってものづくりの満足感の元だ。しかし果たしてそれがいまの時代、ユーザー(お客さん)のニーズを的確に捉えるものとなり得るか否か。一時社会を賑わせた、自費出版ブーム(およびそれをネタにした詐欺)というのも、そういう作り手の「弱いところ」につけこんだ事件だったといえる。自分の言いたいことが物理的な形となって目の前に存在するだけで、「自分の言いたいことが伝わった!」と勘違いしてしまうのである。
雑誌をはじめとする印刷媒体は、作り手の都合(や思い込み)がより強く反映されてしまう。本当に価値のある情報とはなにか。インターネットを中心とした情報ツールが爆発的に発展し、同時に情報の質についてはそれを必要とする人の趣味嗜好だったり知識レベルだったりにおいて十人十色、千変万化に対応する必要がある。こうなってくると、雑誌という物理的な枠組みの中で、毎回決められたプログラムを繰り返し構築し、提供するというシステム自体が、個人が必要とする情報のニーズを十全に満たせなくなり、また情報を必要とするニーズのスピードに対応できなくなってしまったのだろう。
雑誌媒体がお金を取って情報を代替に渡すというツールである以上、ユーザーが「いま・その時に」必要とする情報を、適切な値段で提供できているか。企画がよければもっとたくさん売れる?否、それでは逆に多様化するニーズを満たせなくなる。万人の興味の共通項をさらったような内容ではおのず深堀ができなくなってしまうし、そんな浅い情報にいまさらカネなど払いたくはない。
ちょっとまとまらずに無駄に長くなってきたので掻い摘むと、僕はもしバイク雑誌がこれからも存続を望むなら、その発行の場をwebに移した上で、ユーザーニーズに応じた「オーダーメイド」に対応させる必要があると思う。つまり、ユーザーが必要とする情報を、必要とするぶんだけ、ネット経由で「ばら売り」するのだ。特集だったりなんだったりを目次別で分割し、ばら売りする。あるいは、執筆者別に情報を切り分けて、個人の好みにあわせて購入できるようにする。これは情報の遊園地化と言ってもいいかもしれない。ユーザーは最低限の入園料を払ったら、あとは自分の興味のあるアトラクションごとにカネを払ってそれに乗るのである。基本使用料+記事閲覧料で作られたweb雑誌。基本使用料では一般的なニュース記事だったり広告的な内容にアクセスできる。個別の記事を読む場合は、それぞれに設定された金額をアド・オンして購入する。
例えば、バイクのインプレ記事だったら、「この人の書いた」「あの車種」といった具合で、ユーザーが好きに選んで買える様にするのである。それであれば、雑誌という物理的な枠組みを超えて、よりユーザー個人がそれぞれ必要とする情報を提供し、それをユーザーのデスクトップ上で好きなように再構築できるだろう。オーダーメイドのバイク雑誌の完成である。これならば、あの雑誌は好きだけど、あのライターの書く記事は好かん、そんなものにカネは払いたくないという不満も解消できる。
これを行うには、雑誌社側は、有能なライター(&ライダー)をそろえる必要があるし、しかもそのバリエーションも広く持っておかなくてはならない。でも、仮に記事制作に対する単価を、出来高制(あるいはインセンティブ)にすれば、ライターはより必死に記事のクオリティをあげる努力をするだろうし、ユーザーのニーズにも敏感になるだろう。雑誌社側も、そもそも売れない(読まれない)記事に原稿料を払う必要もなくなるから、作り手側にもメリットのあるシステムになると思う。また、同じバイク雑誌に広告を出すにしても、出稿の場をwebに移すことで、よりアピール度が増すと思う。ネットの広告なら、出稿側はどんなユーザーが自分の製品の広告に興味を持っているかをダイレクトにデータとして入手できるし、また、広告表現の面ではリッチメディアが使えるから、それまでの雑誌の紙面でとどまっていたイメージ表現に偏ったスタティックなものから、よりダイナミックな表現手法を採用することも可能になる。(とはいえ、だったら自社のホームページでそれをやるがよろしというのも真実)
同時に、これまでの情報をアーカイブ化するというのも大事だ。バックナンバーについても、必要な情報が必要なだけ手に入れることができるなら、それこそ「あの号のあの特集だけ」見たいというニーズにも応えられる。バックナンバーは新旧のユーザーの情報格差をなくす役目も果たす。「知りたい」というニーズさえあれば(またそれを満たすに必要な目次検索ができれば)いつだってその情報に行き着けるのだ。
情報については原則入手無料のインターネットで、上記のような有料の記事閲覧システムを構築するというのはそれだけでも障害が多いだろう。実際の採算ベースに乗せるには、常に供給する記事のレベルとボリューム(および対価設定)、それに対するユーザーの満足度に目を光らせる必要がある。だが、バイク雑誌が紙という物理媒体にこだわり続けるのならば、いずれは、いや、いますぐにでもユーザーからのニーズに乗り遅れ、自立存続の機会を失ってしまうだろう。
・・・・む?でも仮にいますぐにすべてのバイク雑誌がなくなったとしたら僕は困るだろうか?ぜんぜん困らないぞ。単にレース結果を知るだけだったり、くそ面白くもない、なんの物理的・科学的な考察すらないライテク記事を読まされるくらいだったら、ネット上に数多広がる関連情報を寄せ集めて、自分で好きなように再編集して、自分の読みたいようなかたちにしてブログに書いて、それを読んだ方がまだマシだ。