モーターサイクル>ネコ>ゲーム。僕の人生いまのところまあそんな感じ。この先もずっとそうかは分からない。web2.0時代に抗うかのように、1.0コンセプトを貫き通すBLOG。

月別【200409

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やる気無くしましたよ

リニューアル当初に比べたら(アクセススピードについては)格段の改善をしつつあるドリコムブログだが、やはりちょっとしたところのインタフェースとかが馴染まないのと、とにかく投稿画面の緩慢な動作が、書くスピードと精神的なノリをいちいち阻害してくれてそれだけで萎えている。僕にとって、書くという行為は非常にデリケートな作業なので、ほんのちょっとしたことでも書かない、書けない理由にするには十分なのである。加えてネスケで見たブログページがひっちゃかめっちゃかにレイアウトが崩れているのを知るにつけ、まったくどうしてやろうかと途方に暮れている。



まあ、冷静に考えると、わざわざ書くほどの出来事自体が、そもそも僕の日常にはそれほど存在していないんだということに気付いたわけでもあるが。



散文的日常の価値を見失ってしまった次第である。

今も昔も

20.jpgやってることは変わらない。



86年のWGP総集編のビデオをオークションで落札した。エディ・ローソンを筆頭に、(ある意味在りし日の)フレディ・スペンサー、ワークス入りして伸び盛りのワイン・ガードナー、頭髪も豊かなランディ・マモラなど、80年代のGPシーンを彩ったヒーローたちが揃い踏みである。



ああ、懐かしい。



僕が初めてフルシーズンGPをフォローしたのがこの86年だったこともあって、非常に想い出が深い。何より見返していて感動が甦ったのが、この年、250ccクラスに参戦していた平忠彦選手の最終戦、サンマリノグランプリでのGP初優勝のシーンである。



当時は今ほど速報性に優れたメディアが存在していなかったので、僕が「平が勝った!」と知ったのはレース翌日の朝刊のスポーツ欄だった。記憶違いでなければ小さなモノクロの写真くらいはついていたように思う。それを見た僕は、その日は一日中浮かれあがっていたことを懐かしく思い出す。



いまでこそグランプリレースに日本人が走ることは珍しくもなんともないが(むしろのべくまくなし数ばかり走りすぎだと思う)、当時はクラスに一人いるかいないかだったことを考えると隔世の感がある。だからこそ当時の平選手の優勝には格別の記憶があるし、重みというかある種の荘厳な感じすら抱いてしまうのだろう。



ともあれ、これでいま僕の手元には、83,86,87,88,89年のWGP総集編のビデオが揃ったことになる。あと欲しいのはローソンが初タイトルを獲得した84年、フレディ・スペンサーが250/500ccのダブルタイトルを獲得した85年である。正直これ以外の年は、僕が敬愛して止まないエディ・ローソンの勇姿が拝めないので、この二年分がフォローできれば僕的にはミッションコンプリートである。(92年のローソンカジバでの現役最後の年は欲しいが)



しかし見ていてやはりエディ・ローソンのフォームには惚れ惚れしてしまう。あくまで僕の主観だが、彼の現役時代においても、一番マシンとライディングフォームとのバランスが取れていたのがこの86年だと思う。83年にGPデビューしたときはまだマシンなりに走らせていた印象だし、それはその後しばらく続いたと思う。87年はYZRのマシンバランスが崩れたこともあって、ローソンのライディングも非常にバランスを欠いてしまっていた。88年以降はそれまでのクールさよりもアグレッシブさが先に立ち、ある種ライディングの教科書的な理想的なライディングフォームのサンプルとしては、この86年の彼が一番であると思うのである。



常にマシンのセンターに頭を置き、視線は路面と水平に。柔らかい上半身の動き。必要にして最小限の動きで最大の荷重効率を与えている下半身によるハングオフ。まったく無駄がない。



外は雨。台風が近づいてきている。バイクに乗ることもない。



そうしたときは、ビデオを見ることでイメージトレーニングである。自分の理想とするライディングを真から身につけるためには、なにより見て、考えることが欠かせない。

安物買いの●●失い?

07.jpg某所で話題になっていたのと、丁度自分のバイクのオイル交換時期でもあったので、オークションで落札してみた。



>Chevron Supreme Motor Oils 20W-50



このオイルの特徴は、なんと言ってもその安さである。



僕が今回落としたのは、946mlが12本入って1,950円。なんと1本あたり約163円。総量ではおおよそ11リッターでこの値段である。

にわかには信じがたい価格である。普通にスーパーでサラダオイルを買ったってこの値段では買えない。通常のモーターオイルであれば、相当に安くてもリッター700〜800円が限度であることを考えると、これは破格どころの騒ぎではない。送料を入れたってこの割安感はまったく揺るがない。



しかしこの値段では、当然品質等にも疑いの目が向けられるわけだが、先の商品ページを見る限り、また品物そのものを見る限りは、中身が大豆油だということはなさそうな印象である。

それに、オイルの値段など、(一部を除いて)日本のガソリンにかかる税金のように、その価格のほとんどは広告宣伝費なのだ。速そうなイメージ、環境に優しいイメージ、レーシーなイメージ。そのイメージのほとんど全てはオイルメーカーの広告宣伝の為せる技である。



僕はオイルは安いものを頻繁に交換するタイプである。一方で高いオイルを長く使うというのも選択肢としてあるにはあるのだが、これは走行距離と機関負荷に対する心理的なケアにかかる負担が大きく(まだ使えるかな?イケるかな?と考えながら走るのがうっとうしい)、僕向きではなかった。所詮オイルなんざ消耗品の最たるもの。ダメになったら換えてしまえばいいと思っている。だから、銘柄に対するこだわりなど無い。最低限の機関保護の役目さえ果たしてくれれば、オイルなど安いに越したことはない。



なお、今回選択したオイルの粘度は20W-50。通常使用であればいささか固すぎるものであるが、こと使用途先がCBR600RRとなることからこれにした次第である。CBRのように気違いじみてエンジンが熱くなるようなバイクの場合なら、これくらいで丁度良いのではないかという判断である。



交換に当たってはドレンボルトの新品をどこかで調達してからになるので、実際の使用感等については追ってリポートしてみたい。CBRで合わなければFZR250Rに、それにも合わなければクルマのbBにでも突っ込んでみよう。所詮この値段。失敗しても入れ替えればそれでいい。まさかこのオイル使ったことでエンジンが壊れるなんてことはあるまい。



ちなみに、パッケージを見ると、このシェブロンオイルの輸入元はCOSTCOのようである。ここは先日新店オープンのチラシが自宅に入っていたのだが、会員制で買い物するのに登録料がかかる(年間約4000円)となっており、そこまでのメリットがあるのかといぶかしんでいたところであった。だがもし店頭でシェブロンがこの値段で買えるのなら、そのためだけに会員登録をしても元はとれそうである。今度行って来ようと思っている。

ドリコムブログ(旧Myprofile) -簡単無料ブログツール-

ドリコムブログ(旧Myprofile) -簡単無料ブログツール-



相変わらず遅くて書けたものではない。




いつまで続く?

ここまで不安定では使い物にならない。



ドリコムブログ。



ブログなんざ思いついたときに勢いで書くくらいのものなのに、それでいちいちこんなにアクセスからエントリーまで時間を食われるなんて馬鹿馬鹿しくて仕方がない。

果たしてリニューアル前の、ごく当たり前の状況に戻るのにどれくらいの時間がかかるのだろうか。



当分はドリコムへのむかっ腹解消のために書く、そのたびにまたいちいちアクセスに手間取ってイライラが更に募る。



なんだか事前にリニューアルで新機能追加だなんだと喜んでいたユーザーが哀れでならない。



ドリコムは全力で状況回復に取り組むべし。一度こうして失った信用を取り戻すのは一筋縄ではいかない。

繋がりはしたものの。

タグが効いてない。。。



良くなった点?画像とテキストの容量が1Gになった。いまのところそれくらいか。心配していた投稿文字数の制限はないようで一安心。

ふざけるな、と。

ブログリニューアルというかむしろ復旧(に至る長い道のり)



*9/25昼

ようやくだ。本当は昨日(24日)の夜6時にリニューアルだったのが、それが深夜の2時になり、さらに翌日の9時に延び、12時になり、その時間も過ぎて1時間近く経ってからようやくリニューアルに、というか、システムの復旧にたどり着くことが出来た。



<A HREF="http://blog.drecom.jp/

">ドリコムブログ</A>。



以前と比べてアクセスは悪くないか?エントリー記入の画面がやはりスクリプトが走っているせいで微妙に書き手とリズムとタイムラグが出るのが気になるが、まあ何とかなるレベル。



問題はブログそのものの表示画面だ。



ページ左右になんだかこれまでにない要素がてんこ盛りされたので、本文のレイアウトスペースが2/3くらいになってしまい、文字がぎっちり中央よせになってしまった。これはこれまで節操もなく長文を垂れ流してきた僕自身の問題でもあるが、文章が非常に読みにくい。今後はエントリー毎に各ボリュームを考えなくてはならないが、しかし書き出して興に乗ると止まらなくなる傾向がある僕をどこで押しとどめておけるかが、今後のブログを続けるに当たっての課題になる、やもしれん。



・・・とか書いている間にどうやらアクセスが集中してサーバが落ちたかなにかしているようだ。繋がらない。ん?繋がった?ダメだ繋がらない。不安定だ。



ここまでリニューアルが延びたのは、一方的にドリコム側の都合と不手際なので、今後1日2日は祭り状態になるのだろう。僕もかつてはこの手の仕事に関わっていたことがあるので現場の惨状は大体想像できるが、概ねこういうサーバー移管とかシステム変更は一発で予定通りにいかないものである。作り手の(甘い)見通しは必ずひっくり返される。想像もしていなかったトラブルが「必ず」頻発し、予定は狂い、現場は混乱し、途中で諦め、徹夜となり、コンビニに買い出しに行き、惰性の修正作業が延々と続いた後に、なんとかかたちになるのである。そんななか責任者だけが矢面で、なにもすることもなくやきもきし続け、頭を下げ続けるわけだ。「申し訳ありません。いましばらくご猶予を!」ああいやだいやだ。昔の自分を思い出すようで寒気がする。



ともあれ。



これでマイプロフィールはドリコムへと完全更改となるわけだが、しばらくは様子見だ。自分の書き方のスタイルも改める必要もあるかもしれない。馴染まなければそれまでだが。



※と書いてからエントリーをアップロードしようと思ったらもう繋がらない、繋がらない。なにをどうやっても繋がらない。。。



大丈夫か、ドリコムブログ。



[追記]



結局、当初のリニューアル予定から丸一日たった9/25の午後6時を過ぎるに当たっても、まったく事態は変化しない。むしろ悪化している。全くアクセスできない。だから言ったのだ、ヤプログ系のサービスになるならロクなことにはならないと。2,3日様子を見て、事態に変化が無いようであれば次を考えよう。今回の顛末でドリコム(旧マイプロフィール)は抱えのブロガーの株を猛烈に下げたと思う。少なくとも僕の中では大暴落した。こうなることは予見できただろうに(出来てなかったとしたらプロではない)何ら次善策を打てないというのは致命的だ。状況把握、危機管理能力に問題ありではと。



[追記2]



9/25 午後9時復旧、か?嘘。してない。書き込めない。ブログ側は表示されるようになったが、管理画面がダメだ。動かない。タイムアウトしてしまう。なんか腹立ってきた。



[追記3]



9/26 午前0時。うんともすんともだ。お詫び画面すら繋がらない。ヤプログがリリースしたときでもここまで酷くはなかったと思うが。DBとブラウザ上のスクリプトを繋ぐcgiがまともに動いていないというか、cgiの処理、javaとの連携等、考えるだけでもうんざりするくらい複合処理を一括でやろうとしてるはずなので、そこにアクセスの負荷がかかったものだから、もはやサーバーの物理的な処理限界を越えてしまったんじゃないだろうか。

解決方法?1週間くらい放置して、ユーザーがアクセスしなくなるのを待ってから再構築とか。冗談ではない。こちらは呆れかえっているのだ。あっちとこっちを繋ぐだけとか簡単に考えていたのだろうが、そうはいかなかったということだ。たぶん設計上は動くはず、でも動かない、なんで?と。

こうなったら一度ぐっすり寝てから解決策を考え直せ。寝ずに仕事すれば何かが解決すると思ったら大間違いだ。



[追記4]



9/26昼。まったく繋がらない。ここまで酷いことになるとは。通常ここまでのことになれば既存の登録ユーザーに直接(メールで)状況の説明くらいよこしてもよさそうだが、ドリコム側からは何の沙汰もない(ように見える。アクセスしたって何のページも表示されないのだから)。このままケツまくる気じゃないだろうな。

モーターサイクルレースを盛り上げるには

手っ取り早く、しげの秀一先生に、「バリバリ伝説2」を書いてもらうとか。



仮にも日本開催のWGPレースで日本人が優勝、母国メーカー優勝という快挙すら、テレビのニュースではまともに扱ってもらえず、新聞の片隅に載るのが精一杯という現状を見るに、やはり日本におけるモーターサイクルレース、というよりモータースポーツそのものの社会的認知度というのが(相変わらず)いかに低いかというのを思い知らされる。



ただ、聞くに今回のモテギではレースウィーク通しでかなりの観客動員があったようだし、夏の8耐もそれなりに客は入ったようだ。



だがしかしそれが巷にまったく伝わってこない。



でもこれも資本主義社会ではいたしかたのないことであろう。投下した資本に対する見返りが、モータースポーツ全般においてはあまりに不確かで、効果測定がしにくく、しかもその効果が及ぶ層があまりに小さく限定されたものだからだ。



かつて80年代、空前のバイクブームがあった。年間数百万台のバイクが売れに売れ、夏の一大イベントである鈴鹿の8耐では通しで20万人以上の集客を誇った。それを当て込んで一般企業のレーススポンサー参入が相次ぎ、目新しさも手伝って、テレビのCMにも平忠彦を筆頭にする有名レーサーやバイクが走るシーンが流れた。あれは何年のことだったか(87年とかそのあたりか?)、正月の元旦明けて時報と共に始まるセイコー時計のコマーシャルは、NSR500を駆る当時のホンダワークスライダー木下恵二の走行シーンで始まったことを覚えている。



あの熱狂やいまやどこへである。



バイクは社会の邪魔者である。人は運べて2人がせいぜいであるし、荷物などはなにをか況やである。何の役にも立たない。そして(これが一番のネックであろうが)バイクは簡単に転ぶし、それで人が死ぬからである。

また80年代の熱狂の時期に話を戻せば、当時どれだけの若者が峠のコーナーにその身を散らし、あるいは結果不随のカラダを抱えて生きていくことになったことだろう。バイクが社会現象にまでなった裏にはそうした暗黒面を引きずっているのである。



レースをスポンサードする企業には、そうした暗黒面をいつ抱え込むやも知れないリスクがある。現代ではかつてよりはその安全性は高まったとはいえ、具体的な例を出すまでもなくいまだ簡単に人は死ぬ。投資した側が安定した見返りを求めるには、レースはあまりに(イメージ的にも実質上も)リスクが高いのである。馬鹿馬鹿しいと言う事なかれ。それが大人の社会というものである。リスクは避けるためにあるのだ。



しかし、それでも現在、国内のバイクブームが一時の最低期を脱したように思えるのは、かつて80年代のあの熱狂のバイクブームを体験した層が再び戻ってきているからだという。それはさもありなんである。何より僕自身がその一人だからだ。



あの熱狂とその後の暗黒の時代を乗り越えてきたものから一言言えることがあるとすれば、それは「バイク乗りよ自らの振る舞いに自覚を持て」ということである。

僕らバイク好きが思う以上に、一人一人のバイク乗りの常日頃の何気ない振る舞いで、社会一般におけるバイク(乗り)そしてモーターサイクルレース全般の印象と認知度、そして社会的地位が決定されている。



だからこそ何があっても安全に。社会の迷惑になるようなことのないように、僕らはバイクという乗り物と、それを取り巻く環境を楽しまなくてはならないのである。



広く一般に認められるには、とにもかくにも、一に安全、二に安全である。個人の快楽や一時の退屈しのぎでそれが破られるようであれば、今後も決して、僕らバイク乗り、レース好きの社会的な地位が向上することはないであろう。バイクは自制心のない子ども(じみた大人)が振り回す刃物以上の存在になることはない。僕ら一人一人の振る舞いによって、バイクという乗り物が、あるいはモーターサイクルレースというものが、危険、あるいは人の生死と直結するようなイメージを持たれることがあってはならないのである。モーターサイクルライディング、それを愛するものであるなら、各自もっと出来ることがあるはずである。

人生のエントロピー

自分の中で、物事を消費するスピードが猛烈に速くなっている。



これはだいたいこういうものだ、と認識できた時点で、その物事に対する興味をすっかり失ってしまう。サメが常に口をあけ、そこから何かを取り入れ、直後に吐き出すように、僕はありとあらゆる物事を飲み込んではそれを消化もそこそこに吐き出している。



もっと単純化した物言いにしよう。



「あらゆる物事に飽きっぽくなってる」



ひとつことに集中力を長時間割くことが出来ない。だからいたずらに手を広げ、散漫な認識を重ねては後に何も残らないということばかりなのである。



自覚はある。だがしかし。



大人になると時間の経つのが速いという実感は、このあたりにその理由があるのだろう、と、また浅はかな認識を重ねてしまう。



ひたすらに広く、浅く。それでも自分のやりたいことを、自分にできる形では、だいたいほとんどやりつくしてしまった印象が拭えない。最初の一手で終局までの見通しがついてしまう。自分の力の限界を知る。「こんなもんか」



そして、次の一手が、見つからない。手詰まり。



これは空虚な人生なのだろうな、きっと。



でも、何の発見も成長のない同じことの繰り返しはあまりに退屈で、僕には耐えられそうもないんだ。

DVDレコーダーは買いだったか。

こういうニュースを聞くに及んで、先だってDVD(&ビデオ)レコーダーを買い込んだのはつくづく時期尚早であったと後悔しきりである。

>「PS3」メディアはBlu-rayに

買ってから実感したが、はっきり言って、DVDは記録メディアとしては実に中途半端で使い勝手が悪い。まともな画質で録ろうと思うと、DVD1枚に2時間録画するのが精一杯である。それ以上の録画時間で録ろうと思ったら、ビデオの3倍モードで録画した方が画質的にはるかにマシなのである。
だから、実に馬鹿馬鹿しい使い方だが、DVDの最高画質で記録した映像を、ビデオの3倍でコピーして保存したりもしているくらいである。

とにかく4.7GB「しか」容量がないDVDは、現時点ではメディア1枚あたりのコストパフォーマンスが悪い。画質的な比較をすると、感覚的にはビデオテープより悪いんじゃないかと感じている。

先のリンクにあるブルーレイ・ディスクに限らず、その他にも今後リリースを控えている小型・大容量の記録メディアが相当な種類あると聞く。聞いた話では、100円硬貨くらいの大きさで、ハイビジョン映像を最低2時間録画できるメディア(HD)も、2,3年後には製品化がされそうだという。そうなったらDVDなんざかさばるだけのただのポリエチレンの板きれである。

かつてCD-ROMが記録メディアとしてもてはやされた時期があったが、DVDはあれよりも短い期間で商品的な旬の時期が終わってしまうような気がしている。そういえばMOなるメディアもあったが、DVDもそれらと同じく、あくまで過渡的な記録メディアでしかなくなってしまうのではないだろうか。

あとDVDに期待することがあるとすれば、他の大容量の記録メディアが出てきたときに、DVDのメディア単価が劇的に下がることくらいである。

DVDはあくまでビデオテープの後追い代用品であり、それ以上でもそれ以下でもない、ある種凡庸な記録メディアである。

それが現時点での僕の結論だ。

"スゴスギルー!"

s7s3egfu.JPG単純に面白い。

>ニード・フォー・スピード アンダーグラウンド EA BEST HITS

夜も寝る前に、朝も早起きして仕事前にやってる程であるから、そのハマリ具合も相当であることが自分でも伺える。

内容としては公道を舞台としている首都高バトル系なのだが、これの舞台は当然アメリカ。PS2のグラフィックとしてはいささか安っぽい部類に入るとは思うが、無駄にギラギラとしたネオンチックな夜の街並みを、ただひたすらにぶっ飛ばす。アクセルは全開。特筆すべきはそのスピード感。ほとんど目が追いつかない。猛烈なスピードに「溶けて流れる」視界というのをよく表現している。

さらにゲームモードが多彩である。

通常のレースにドラッグレース、ドリフトモードまである。個人的にはこのドリフトモードが楽しい。レースに勝つことで賞金を得て、マシンのチューニングと、ドレスアップを行う。キモとなるのは(なんと)ドレスアップだ。これで評判が高まると、レースの結果に合わせて雑誌の表紙を飾ったり、ランキング上位に名を連ねたりする。
音楽もイカしている。普段僕があまり積極的に聞くジャンルのものではないが、ゲーム全体の雰囲気に良く馴染んでいる。

ちょっと前ならこういうノリのゲームは僕は受け付けなかったはずであるが、想像以上にやってみると面白かった。

レースゲームのキモである挙動だとかなんだとかは、あくまで「ゲームのルールに則った上で」リアルなレベル。突き詰めれば確かに大雑把であるが、決していいかげんではない。これはレーシングシミュレーターではなく、あくまでゲームなのである。コンセプトさえ明確なら、こういうのも当然「アリ」である。
これまで僕が好んでやってきたグランツーリスモを筆頭とするリアルなドライビングシミュレーション系のゲームは、やっていて面白いし、身に付くものも大きいのだが、ゲームの中でリアルな挙動に縛られ、ゲームとしてみたときの爽快感については追求し辛いものが多かった。そういうのを僕はこれまであまりに多くやりすぎて飽きてしまったのだろう。だからこそ、このニード・フォー・・・のような「軽いが」「楽しい」「爽快」なノリが新鮮に感じられるのである。

どうやらこのゲームのイメージソースは、映画のワイルドスピードらしい。これが公開されたときはハナにもかけなかったのだが、ゲームをやって俄然興味が湧いてきた。あとでレンタルででも借りてこようか。

オメデトウ!

>MotoGP Round.12 日本

まずは玉田選手の優勝にオメデトウ。

そしてなにより中野選手の3位表彰台にオメデトウ!

レースは玉田選手の(まさかの)独走優勝であった。10周目あたりまではロッシも後をついていったが、そのあまりにも気違いじみたペースにロッシとしては付き合う義理もなく、後続とのマージンが10秒以上あるのを確認した時点で無理に追うのを止め、単独クルーズの2位。そして3位には、なんとなんと、ライムグリーンのカワサキを駆る"王子"、中野選手である。
僕は彼について詳しくは知らないが、昨年までのヤマハからカワサキに移籍しての初表彰台である。マシンのハンデを考えれば、母国グランプリでこれ以上はない成績である。苦労と努力の末に掴んだ表彰台。心から祝福したい。

以降、バロス、メランドリ、そしてこれでタイトル奪取への道が閉ざされた感もあるジベルノーである。
彼はこのように、マシンがダメだったときのまとめ方がつくづく下手だ。セットアップの出来不出来で精神面、レースを戦うためのモチベーションをあからさまに左右されてしまう。中盤までは少なくともロッシの後、3位は狙える位置にいたのに、結果追いきれず後位に沈んだ。おそらく彼は、浮かない表情でこう言っていることだろう。「僕たちはマシンを仕上げることができなかった」と。どうも彼はあらかじめ言い訳が用意できるレースではまともに戦えないようである。非常に残念であるが、こうした自身の性格傾向をなんとか矯正しない限り、世界タイトルをその手にすることは遠い夢のままで終わってしまうのではないだろうか。

そしてこれで一気にタイトル獲得への道のりに弾みがついたのがロッシである。もはやこうなったら後ろのジベルノーは恐れるに足らずである。ロッシとしては残りのレース、落ち着いて、彼のペースでごく当たり前にレースを完走し続けるだけで、ほぼ確実に、再びワールドチャンピオンの栄光を、その手にすることができるであろう。
シーズン開幕前、誰がこのような状況を予想できたであろうか。マシン的に圧倒的アドバンテージを持つホンダから、圧倒的ビハインドを持つヤマハへの移籍。その緒戦での勝利。以降ランキングでもトップを快走。
稀代の天才の名は伊達ではない。僕らはとんでもないライダーが走るのを見ているのである。

僕の事前の予想を裏切り、玉田選手の独走で幕を閉じたMotoGP@モテギ。母国GPであるホンダ、ブリジストンにとっては万々歳の結果である。特にBSは、シーズン中盤での中野選手のバースト事故以降、メーカーの威信を懸けてのレースが続いていただけに、母国での勝利(合わせて3位入賞表彰台)は、あの失態を払拭するなによりのものである。玉田選手のあの独特の走法に合わせたタイヤのコンストラクションとコンパウンドの開発は一筋縄ではいかなかったはずである。確かに今回のレースは勝手知ったるホームコースでの地の利があった面も大きいとは思うが(どうしても僕の思考は素直に今回の玉田選手+BS陣営の勝ちを認められず、思考が負け惜しみ傾向である)、今後この技術を生かした市販タイヤがどうなるかがいまから楽しみである。

#と、ここまではあくまでライブタイミングのラップタイムだけを(仕事中にチラ)見ていての印象である。また今晩深夜の地上波のテレビでの映像を見て感じたことがあれば適宜付け足す。好調だったスズキはどこに行ったのだろう?

[追記]

なんだ、スズキの面々やヘイデンとかいなくなったのはオープニングラップでの多重クラッシュってのがあったせいか。仕事しながらライブタイミング見てたからわからなかった。

>玉田快勝、カワサキは23年ぶり表彰台

[追記2]

見た。
モテギとはつくづくテレビ映えしないサーキットであると思った。コースから観客席が遠く、カメラのフレームに入らないので、なんだか無人のコースを走ってるようなうら寂しい印象すらあった。画面だけ見ているとまるで世界戦とは思えない。

モテギは昔クルマで一度走ったことがあるが、コース幅が広い割にはラインが一本しかなく、そこをはずすとどうにもならなくなる。特にインフィールドのS字からバックストレート手前までは、どこか一カ所ミスすると、そのラップはドブに捨てるハメになる。コーナーの曲率がイヤらしい定常円で、アクセルを開けるより閉じて待ってクルマを曲げなくてはならず、フロントの入りが悪いクルマだとひたすらストレスが溜まる印象だ。

そうした視点で見ると、今回優勝した玉田選手のマシンは不可解な動きであった。普通あのようなマシンで速く走ることはできない。

旋回のポイントが、クリッピングから先、なのである。通常の見方であれば、あれはアンダーステアで曲がらないという評価になる。
ブレーキングからリーン、クリッピングまでは漠然としか方向が変わらない。しかしそのままマシンを寝かせ続けていると、クリップから先でぴょこんという感じでフロントが中に入り、曲がっていく。

見ていて気持ちが悪い。あれは僕が知るバイクの動きではない。少なくとも決して効率の良い走りとは言えない。しかしそれでも勝ってしまった。ブッチギリで。

僕が玉田選手の走りに感じている消化不良感というか、はっきりいえば不快感は、僕がこの20年来(多少ブランクはあるものの)モーターサイクルレースを見て、自分でも実際に走って考えてきた走りとはあまりに異質なことから来ている。僕から見ればあの走りは「間違っている」のである。

しかし何を言っても勝ちは勝ちだし、その点で文句の付けようもない。それに、考えるに、彼の走りは、マシンとタイヤの性能が、僕の想像を超えて上がっている現代の状況に合った走り方であるとも言えるのだ。(特にタイヤの横方向のグリップが常識外れに高くなってるのだろう。そうじゃなければあの走りで転ばずに、ペースも落とさずレースディスタンスを走りきったことの説明がつかない)

でも、それでも僕は彼の走りは見ていられないし見たくない。自分の考える走りのある種の哲学に類するものが、あの走りをみていると揺らいでしまいそうなのだ。

何につけ、人間は自分の価値基準を揺るがされることを嫌う。そういう意味では僕も人間である。

パラダイム・シフト。

もしこの先も彼の走りをGPで見続けるためには、僕にはそれが求められている。

[追記3]

笑ってはいけないのだろうが、今回のモテギでスズキチームが見舞われた災難には心霊現象にちなむくらいのなにかがあるような気がしてならない。

>ホプキンス:「まるで汽車に引かれたようだ」

ホプキンス肋骨2本骨折。ロバーツ右ヒジ脱臼に加えてチームディレクターも前日に「風呂場で滑って」足を骨折だという。踏んだり蹴ったりとはまさにこのことである。お払いが必要だ。リザーブライダーの名前がパッとしないので、ここはシュワンツあたりを引っぱりだしてはいかがだろうか。走るだけでいいんだが。

ネコがかつおぶしを食べた!

なにを当たり前のことをと思うだろうが、これは、昨年の10月に飼い始めてからドライのキャットフードしか口にしなかったウチのネコのことを考えると、僕らにとっては「クララが立った!」くらいの衝撃である。



ウチのネコは小食である。



お腹が空くとニャーンと甘えてきて、お腹が空いたことを知らせたり、その時僕らが寝てると手足をがぶがぶ噛んで起こしたりする。そこでエサをやるのだが、ホントにひとつまみしか食べない。それで満足している。そんな風に一日2,3回の食事。ドライのキャットフード以外はまったく食べない。これはあげないのではなく、他に何をあげても食べないのである。

ちょっと前に、缶詰のエサを買ってきてあげたのだが、匂いを嗅ぐだけで、決して口にしない。僕らの食事の時にもなにかを欲しがるということがないし、こちらが与えても食べない。あまりに小食なのでさすがに心配になって、ネコが食べるようなたいがいの食べ物はあげてみるのだが、絶対に食べなかったのである。



そんなウチのネコが、かつおぶしを食べた。



テーブルの上にあった真空パックのかつおぶしで遊んでいて、噛みついたときに穴が開き、たぶんそれで中に「なにかいい匂いのするものが!」入っていることに気がついたのだろう。さっき見たら、袋の中身をテーブルにぶちまけ、かつおぶしをはみはみと食べているところに出くわした。



正直、ほっとした。



ここまで小食なネコである。体つきも生後一年にしては小柄で、日頃ネットや雑誌でみかける他のネコとくらべると相当にスリムである。(ただ、痩せている、とまではいかない。肉付きはしっかりしてるので骨が見えるようなことにはなっていない。あくまで小柄なレベル)

何か病気でもかかえているのかとも思うのだが、日頃はなんら異常もなく、元気に過ごしているから、これは単に小食なのであろう。



昨年の10月に拾ったときは、ガリガリで泥だらけのいかにもな野良の仔猫で、しかもネコ風邪をひいて青っ洟を垂らしていたその姿は、決してかわいいとは言えないものだった。しかし、風呂に入れたり医者に連れて行ったりしているうちに愛情が湧き、結局飼うことになった。僕は元来生まれてこの方ずっとイヌと暮らしてきた人間だったので、むしろネコは嫌いだったのである。ネコなんか、呼んでもこないし、気まぐれでスマしているだけの生き物のどこがいいんだと思っていた。それがいまでは「目の中に入れても痛くない」と思えるくらいかわいく育ってくれた。いまの僕の生活上のプライオリティは、ネコを筆頭に組み立てられているといっても過言ではない。



そんなわけで、今日も僕はネコにかつおぶしを食わせるために、せっせと働くのである。



・・・とはいえ、連休の中日で、仕事的にはいささか間延びした一日なのだが。。。



ネコでも撫でるか。

マネできない?

3wklv9v3.JPGエグい。

来年から始まる仮面ライダーの新シリーズで使われるバイクだと言われても全然不思議じゃない。

>Benelli TnT II30

ステアリングがクリップオンなら個人的にスマッシュヒットだったのだが。
現状スポーツバイクだとスタイリングが安直にレーサーレプリカに依りすぎるので、こういう系統でもう一段階スポーツ度を追求してみて欲しいのだが。

なんで未だにヤマハのMorphoみたいなバイクが出てこないのか不思議でならない。バイクメーカーのマーケティングは寝てるのか?

なんだあこりゃあ!

ラップタイムなんざこんな縮まり方するもんじゃねえぞ!by HRC 梅井松男

>MotoGP第12戦モテギ 予選最終結果

ライブタイミングをチラ見してはいたのだが、最後の最後で表示がおかしくなって、誰がどうなったのかわからなかったのだが、いま確定結果を見てひっくり返った。

・・・玉田選手、ぶっちギリギリのポールタイムである。一人46秒台。二位とコンマ7秒差という途方もないタイム。それまでのロッシのサーキットレコードを2秒以上更新。

シンジラレナイ。

記憶する限りでは、今日の玉田選手は終盤までトップ10にも入らないタイムでラップを重ねており、このまま中位でグリッド確定かと思っていたので、まさかここまで最後にタイムを伸ばしてくるとはまったく予想だにしなかった。

他の上位グリッドにも、予選初日の順位総入れ替えといった感じで多様なライダーが顔を揃え、タイトルを争うジベルノーは9位、初日2番手で二日目も余裕の展開かと思われたロッシに至ってはなんと13番手に沈んでしまった。

シンジラレナイ。

しかし玉田選手である。確かに彼の走りはモテギに合っているし、トップ3くらいには入るとは思ったが、ここまでの大差でポールを奪うとは、マシン、タイヤ、そしてライダーとサーキットのマッチングというのは空恐ろしいものである・・・。

???

・・・・ん?とここまで書いて、トーチュウのページを見たら、予選順位がまったく違っているではないか。MotoGPオフィシャルの掲示が間違っているのか?

>トーチュウ掲載モテギ予選最終結果

これ見ると、ロッシ3番手、初日トップのホプキンスが2番手だから、こちらの方が正しいし、順当であろう。MotoGPオフィシャルの掲示はいったいなんなんだ?全然違うではないか。
まあどちらにしろ、玉田選手のブッチぎりには違いがないが。

僕は、これまでも何度かここで触れたように、彼の走りは好きではないのである。長いリーン、深いバンク角。タイヤのキャンバースラストに依存したあの走り。速いのは分かるが、あのような走りはコースレイアウトによって得手不得手が非常に大きく別れてしまう。今回のモテギはそれが良い方に、それもシンジラレナイくらい良い方に転んでいる。

決勝は、タイヤの保ち次第であろう。もしあの走り方で、決勝最後までトップ快走を果たすようなことがあれば、ブリジストンタイヤはかつてない次元のハイパフォーマンスタイヤの開発に成功したということになる。

一方のタイトル争いに目を戻すと、ジベルノーの惨状が目に余る。トーチュウでは予選13番手である。いまごろはきっと、ジベルノーは精神的に捩れきっているに違いない。ここで持ち直すだけの根性が果たしてあるかどうかが、決勝のポジション、そしてシリーズタイトルを手元に引き止めておけるかどうかの瀬戸際であろう。
ロッシは、正直なところ、玉田選手はまったく視界に入っていないと思う。ここで玉田選手に勝たれても、自分のポイントランキングにはなんら影響しないし、地元である玉田選手に勝ちを譲るくらいのことはしそうだ。ロッシはあくまでポイント上自分を追う、ジベルノーだけ見ておけばいいのである。
そうした視点で今回の予選結果を見ると、ロッシの笑みが想像できる。こんなに楽な展開はないだろう。

不確定要素があるとすれば、明日の天気である。もし雨の展開になれば、ジベルノーはとたんに息を吹き返すだろうし、ロッシはロッシで勝ちを狙えないマシンで慎重に走らざるを得ない。

決勝は明日。果たしてどのような展開が待ち受けているのだろうか。楽しみである。

これは何かを生み出すための戦いなのか?

どうもこの一連の騒動が自分の中で釈然と消化できないのは、結局のところ、双方が拘っているのは既得権益をなくすな!ということで、そういう意味では単なる利権の取り合いでしかないからなのだろうということになんとなく行き着いた。

新しい何かを生み出すための戦いではなく、「いまのままでいたい」という保守的な思惑が、答えのでない、出口のない閉塞感に繋がっているのだ。

ただでさえ興味をなくしていたところにこの騒動。正直なところ、どうでもいいし、辟易している。

>「来季」の文言めぐり一転、決裂へ プロ野球団交

ひとこと言っておくと、経営者と労働者がどこまでも平等というのは幻想でしかない。あるいはこれは興行主とタレントと言い換えてもいいが、それぞれがそれぞれの領分というのがあるのである。

各々が自らの職務を適宜適正に果たしていれば、おそらくは話はここまでこじれることはなかっただろう。

怠慢が生んだ悲劇である。いまごろ泣いても手遅れだったのだ。

>Q.プロ野球選手会のストライキを支持しますか?

一応支持はするが、やるならやるで決断が遅かったし、要求が二転三転したように見えたのもマイナスだ。ただ、結果これで何がどうなるのか誰もイメージしてないしできないことから、僕は「どちらでもない」を選択した。

しかし、少年時代は地元の野球チームでノーコン剛速球投手で鳴らし、ONの時代はほとんどの野球選手のパーソナルデータすら諳んじていた一人の「元」野球好きとして、今回のスト決行についての選択肢を選ばせてもらえるなら「残念」、ただその一言に尽きる。

栄華を極めた野球の凋落ぶりに落胆しているのである。これでも。僕は。

今日からモテギ!

始まったようである。

>2004: CAMEL GRAND PRIX OF JAPAN

>ロッシは余裕の4番手〜玉田もまずまず8番手
第12戦日本GP・MotoGPフリー走行第1日


昨晩のMOBIで玉田選手は「勝ち以外狙ってませんから」と言っていたが、果たして。

今回は時差を気にすることなく、リアルタイムでのライブタイミングでのんびり観戦することにしようか。

そういえば昨年のモテギのレースは遊びに出ていた熱海の旅館でたまたま見た。そのときは全然興味持って見ていなかったから、おもしろいともなんとも思わなかったのだが、今年はまったく違った視点で臨めそうである。

物事を選択するポイントは人それぞれ。

ドイツはミュンヘンで始まったインターモトを契機に、各メーカー来季の新型リリースが始まった。
もちろん注目は、自分が乗っている600ccクラスの動向である。


左上:CBR600RR 右上:YZF-R6
左下:ZX-6R   右下:GSX-R600

国内4大メーカーが誇る、最新・最速のSS(スーパースポーツ)600ccモデル揃い踏みである。
*但しGSX-Rのみ04モデル。その他は05モデルの新型となる。GSX-Rは今年フルモデルチェンジしたばかり(らしい)ので、05モデルはおそらくカラーリングが変更される程度であろう。

何というか、こうなってくると、正直どれも似たり寄ったりである。

同クラスのレースで戦う各モデルであるから、どうしても採用されるイクイップメントもトレンドに即したものになってしまうし(全車倒立サス化!マフラーもセンターアップかそうじゃないかくらいの違いでしかない。パワーも大差なし)、そのなかでアドバンテージを生み出すオリジナリティというのがなかなか出しにくいのであろう。ホンダ、ヤマハ、カワサキ、スズキ。たぶんどれに乗っても変わらなく速い。一般道ではさらにその差、その違いというのは大きく現れるものではない。どれを選ぶか、どれを買うかは単純にユーザーサイドの好みに依るものになるだろう。

そこで僕の個人的な好みで言うと、やはりデザイン的にはCBRが一番単純にカッコイイと思う。エッジの効いたアグレッシブなフォルム。MotoGPのレーサーイメージそのままのシルエット。センターアップマフラー採用によるスッキリとしたリヤ周りが特に優れているポイントである・・・というか、それが僕が現行型(04モデル)のCBRを選んだ理由であった。走行性能がどうだというのはその時はまったく考慮の範囲外であった。そう、単純に、センターアップマフラーが、それが可能としたマシン全体のデザインがカッコイイから、という理由だったのである。

僕はメーカー的には元来圧倒的にヤマハを支持している。それなのにYZF-R6ではなく、CBR600RRを選択したのは、デザイン的なものが主な理由であった。(下世話な話ではCBRの国内モデルが価格的に非常にリーズナブルであるというのもあったが)

こうして並べて見てわかるだろうが、特にセンターアップマフラーかそうでないかは、デザイン上、バイクの後ろ半分の重量感というか、見た目のスッキリとした印象に非常に大きく影響する。一度、このマフラーの左右どちらかへの張り出しのない、センターアップのマシンデザインを見てしまうと、旧来のマフラーの出っ張りがいかにもやぼったく、デザイン上の邪魔な印象になってしまう。もしYZF-R6がセンターアップマフラーを採用していたら、僕はなんの躊躇もなくそれを選択していただろう。(というか今回の新型への乗り換えを決意していたかもしれない)

実質的な性能とかはこの際度外視している。これは見た目だけの話だ。見てカッコイイか。好きか嫌いかというレベルの話である。実際、このセンターアップマフラーは、実用上それほどめざましいメリットというのはない。見て分かるようにシート下に高発熱体であるマフラーが来るから単純に「熱い」。重量物が車体重心の上方/後方に来ることも運動性の面ではマイナスであるし、シートエンドの積載性もほとんどゼロになる。取り回し上、排気管長が異様に長くなってしまうことから、エンジンの低速トルクを失わせる面もあると思う。(一般的に排気管が長い方が高回転向き。短いとその逆となる傾向がある)

・・・というか、こうして書き出すと、センターアップマフラー、実用面ではメリットなしである。ホント、カッコだけ・・・。

バイクを選ぶのには様々なポイントがあるが、カッコだけで選ぶというのも立派な選択肢のひとつであるとは思っている。ただ、カッコがいいことでその他のことを諦めなくてはならない点が出てきてしまうことは、これもまたいたしかたないことであるとも思っている。そう、僕がCBRに乗っているのはカッコだけなのだ。例え思い通りにバイクを走らせることができなくとも、カッコイイんだから仕方ねえか、と思っているのである。

生きているだけで疲れる毎日

なんだか毎日毎日どこかで誰かが誰かを殺した殺されたってニュースばかりで心底うんざりしている。犯人がつかまったと聞いても、それがどの事件のどの犯人なのかがさっぱり結びつかないし、犯人が捕まろうがどうしようが、何かが解決した気分にまったくならない。



こんな世の中じゃあ、どんなに僕が一人孤独な平和を望んだとしても、きっとどこかで必ず社会的なねじれが生み出す落とし穴に不意に墜落するハメになるのだろう。



しかし、みんなつくづく大事なことを忘れている。



放っておいても人は必ず死ぬし、キミの先を歩く人はほぼ先に、後を歩く人はほぼ後に、100%間違いなくこの世界から去っていく。死は分け隔てなく平等である。そういう意味では何一つ心配はないし、気に病む必要もない。

それなのに、どうして自分の都合だけで他人の生を奪い、強制的な死をもたらすようなことをするのか。一体何様であればそのような暴挙が許されるのか。



殺人とは究極の過干渉である。



みんなもっと上手に他人を無視する方法を身につける必要があると思う。他人との関わり合いが、日々伝えられてくるように、摩擦あるいは衝突しか生み出さないのであれば、どうしてみんなそんなに他者との関わり合いを求めるのだろう。



戦争だってなんだって同じだ。放っておいても50年も経てば大抵の人や物事は重要性を失い、消えてしまうというのに、過剰な自意識のせいで、今を無理矢理自分の思うように作り替えようとするから周りの人間がことごとく迷惑をすることになるんだ。



キミだって僕だって世界中の誰だって同じだ。



間違いなく、100%間違いなく、数十年のうちに、どんなにあがいたって、死んじまうだけの存在なんだ。



それなのに。



どこまでも平和な世の中を望むことがある種のメルヘンでしかないのなら、せめて満ち足りた孤独のうちに生き、そして僕は死にたい。



だから僕を放っておいてくれと言い続けているんだ。



僕に構うな、と。

僕は買っていない

たぶん先日北海道で開かれたラリー・ジャパンの影響なのだろうが、このところゲームの「WRC3」のキーワードでのアクセスが異様に増えている。

この原因を招いているエントリーにも書いてあるが、僕はこのゲームを「買っていない」。だいたいがいまの僕は昔ほどゲームに興味を示さなくなっているのである。一時期は財政が圧迫されるほどのゲームを常に買い込んでいたのだが、その熱は今はどこへといった感じである。ゲームに関連した情報もほとんどフォローしなくなっている。

とはいえ、このアクセスの増加に絆されてかどうかはわからないが、ここ数日、僕は前作であるWRC2で、夜寝る前にちょこちょこと遊んでいる。ほんの十数分、気まぐれに遊ぶには丁度良いのである。(あまり入れ込むと気が立って寝付けなくなるのだが)

新作である「3」の方が、グラフィック、挙動ともに格段のグレードアップを遂げているらしいので、やってみたい気持ちもあるが、とりあえずは旧作で満足している状況である。

>★PS2ゲームレビュー★
危険と隣り合わせの“爽快感”!
世界でただひとつのFIA世界ラリー選手権
公認オリジナルソフト!!「WRC3」


なんで!こんなに!ビックリマークがタイトルに付くのかよく分からないが!!!ゲームの情報を求めている方にはこちらをご覧頂いた方が遙かに有益である。

というわけで久方ぶりにゲーム関連の記事をあれこれ見ていて、こんなのが出ているのに気がついた。

>ニードフォースピードアンダーグラウンドEA BEST HITS

廉価版である。

本作品は発売時気になっていてチェックはしていたのだが、なんやかやあって買いそびれてしまっていた。それが気付けばBEST版としてお求めやすいお値段になって、しかも日本語版としてのローカライズが強化されて発売されていたのである奥さん。こういうことになっていたとはまったく知らなかったが、無知であることはある種のシアワセである。

早速注文した。到着が楽しみである。

しかしなんでまた廉価版がと思ったら、年末には新作が出るんだとか。

シリーズものは新型よりも型落ちを狙った方が、何かと財布には優しいようである。ゲームに限らず。

僕にできることは何?

>フィリップ・アイランドを走るCBR600RR

1年も前の映像。でかい容量の割に画面が小さいのが興を削ぐが、CBR600RRのハンドリングのだいたいのところはこれを見れば読みとれるだろう。

アクセルオフでクリッピングに吸い込まれるように猛烈に曲がっていく。そしてアクセルを開けるとだらしなくラインがはらむ。

CBR600RRの走りを要約すると、ただこれだけのことになる。

僕はこのバイクが初ホンダ(これまでヤマハしか乗ったことがない)なので、ホンダ車全般がこういうハンドリングの味付けなのかどうかはよくわからない。しかし、ヤマハに慣れたこの身には、このアクセルオフでひたすら曲がるのを待って、クリップから先でアクセルを開けた後は、ほとんど真っ直ぐにしか走らないというハンドリングは大いに戸惑う。

ヤマハのマシンだと、クリッピングまでにアクセルオフしただけで、ここまで強力に曲がるということはないが、ブレーキングからリーンに入った直後くらいからむしろ逆にアクセルを開け、そこからさきの領域では、フロントとリヤの旋回性のコントロールをスロットルで行うことができる。これは自分でバイクをコントロールしているんだという非常に強い実感を得られる瞬間であると、僕は感じている。しかしホンダの(少なくとも僕の操るCBR600RRという)バイクはブレーキングでひたすら曲がるのを待ち、クリップから先でスロットルを開けたあとはライダーにはほとんどなにもする事が残されていない。というか、バイクを曲げよう、方向転換しようと思ったら、アクセルが開けられないのである。開けた瞬間から待っているのは、それまでの巻き込み気味なオーバーステアが嘘のような、強烈なアンダーステア(プッシュアンダー)でしかない。だからクリッピングまではただひたすらスロットルを戻し、フロントが旋回するのを待つしかないし、開けたら開けたでただ真っ直ぐに加速していくバイクに身を任せるくらいしかやることがないのである。

こんなバイクを走らせるとき、ライダーである僕は、一体何をすればいいのだろう?一体何が出来るのだろう?

確かにこのCBR600RRというバイクは物凄く速い。とんでもない性能を持ったバイクであることは疑う余地がない。しかし(こういう言い方はどうかと自分でも思うが)ただそれだけなのである。正直なところ、乗って楽しいとか、自分でバイクをコントロールしているんだという実感(それはバイク乗りにとっての生命線であると思う)が、僕にはどうしても希薄に感じられるのである。

バイクが凄すぎる。そして乗り手が駄目すぎる?

その組み合わせが悪かったのかもしれないけれど、どうにも最近はCBRを走らせようと思うと気分が重くて仕方がない。バイクの要求する走りの波長に、どうしても自分が乗り切れないし、こちらの考えるライディングのほとんど一切を拒否されているようで、いささか寂しく、悲しい気持ちすら抱いているくらいである。

夏も終わり、少しずつ気候も良くなってきた。

近々(乗り始めて初となる)オイル交換をして、そうしたら少しまとまった距離を(半ば無理矢理)走って、このバイクと自分の間に感じている違和感、距離感みたいなものを少しでも埋めようとは思っているが、果たして。

所詮他人の言うことなんて

アテになんかならないし、何の役にも立ちゃしない。結局自分の見たもの、感じたことが全てだ。



つまり僕の言ってることだって同じ。



ここに書いてあることは、僕以外の誰の役にも立ちゃしない。

我が心のエディ・ローソン。

dsastajl.JPG僕の知る限り、彼のもっとも最近の様子を知らせているリポートである。

>Turning and Burning with Eddie Lawson and the Blue Angels

'04モデルのYZF-R1と一緒に写っていることからも、少なくとも今年に入ってからの画像である。
こういうのもおそらくUS YAMAHAの広報の仕事の一環なのだろうが、とにもかくにも彼の元気そうな姿が見られて心底嬉しい。

彼の引退後の動きについては折に触れ調べているのだが、詳しいことがよくわからない。

引退直後の90年前半から中盤は、4輪に転向し、アメリカのインディカートに参戦していたというのは掴んでいるのだが、その後はさっぱりである。

ときたまUS YAMAHAに関連したイベントに顔を出しているのをネットで見かけるくらいで(これにはレイニーやマモラも同席していることが多い)、その他僕が知っているのは、カート(レーシングカート)のレースに出てたり、昨年はトヨタのレクサス(日本でいうアルテッツア)に乗ってハコのレースに出ていたりするらしいということだ。が、詳しいことはとにかく情報がない。

エディ・ローソン。

彼は僕がかつて二輪のWGPをもっとも熱心にフォローしていた時代の、僕にとって最高にして最大、最強の英雄である。

キング・ケニーロバーツ引退後の84年、GP参戦2年目にしてタイトルを獲得。当時はステディ・エディと呼ばれ、決して無理をしない、その冷静なレース運びが揶揄された時期もあったのだが、その後も86、88、89と都合4度もワールドチャンピオンに輝き、その速さ、なにより強さを強烈にアピールした。特に88→89年は、ヤマハ→ホンダへの移籍を果たしての連続タイトル獲得の偉業である。
今季ロッシがホンダ→ヤマハへの移籍をし、もしこのままタイトルを獲得するようなことになれば、メーカーをまたいでの連続タイトルは、彼以来の快挙となる。

僕はとにかく彼のライディングに惚れ込んでいる。シンプルで、クールで、アグレッシブ。決して無理はしないが、勝つと決めたらなにがなんでも勝つ。そうしたときの彼の走りは、他者には近寄りがたい、恐れにも似た迫力と威厳を発散していた。

何より彼の走りは、何も特別なことをしていないのが素晴らしい。マシンに無理をさせない。自分も無理をしない。決して力で振り回すようなことはなく、全ての動作が自然で、流れるように完結するあの走りは、モーターサイクルライディングの理想形のひとつであることは間違いがないだろう。

僕がバイクに乗るときは、いまだに、常に、彼のライディングをイメージしている。マシンに負担を掛けず、もっとも効率の良いライディングをするために、彼ならどんな走らせ方をするだろう?どんなタイミングで、どんな動作をするだろう?と常に考えながら走っているのである。

おのずと、ライディングフォームも彼のものをコピーすることになる。

力みのない上半身。その重みを使って前後左右の荷重コントロールを行う。ステアリングには決して無駄な力をかけない。ハングオフは必要にして最小限。それでもリーン・インのタイミングでは一瞬大きくカラダを動かし、と同時に効果的なステップへの荷重でマシンを倒し込む。加速では浮き上がろうとするフロントへの荷重を増すのと同時に、少しでも風圧による失速が起こらないように上半身をなめらかにカウルの中に沈める。何もないストレートであっても、カラダをコンパクトに。カウル外へのはみ出しを最小限に抑える。そう、彼のライディングは、何気ない動作の中にも全て意味があり、「バイクを操るんだ」という意志に溢れている。神経が行き渡っているのである。僕は彼のライディングのそういうところをコピーしたいのである。そしてSafety & Fast。彼の走りを要約する一言である。安全で、速い。転ばずに、速い。それが僕の目指すものなのである。

そのために、と言うのも何だが、僕はいまだに、ほとんど毎日(これは誇張ではない)彼の現役時代のレースのビデオを見ている。イメージトレーニングである。実際にバイクに乗らなくても、見て、考えることで同じ効果が得られる。そうしておくことで、次にバイクに乗ったときに、ブランクに違和感なく、即走りに対応できるのである。

もちろんそんな簡単に、考えるだけで彼と同じように走れるわけもない。走るたびに自分に幻滅する。「下手くそ!」と。しかしそれでも「彼のように走りたい」という欲求は消えることはない。

青春時代の憧れ。その幻影を追い続けているということなのだろうが、でもそうすることで実質的な自分のライディングテクニックの向上に結びつき、冷静な判断に繋がっているのであるから、これは僕にとって単なるノスタルジー以上のプラクティカルな意味がある。

そうして憧れ続けている彼の姿をいまだこうして目にすることができることは、僕にとって最高の喜びである。

だから、ということもあるのだろうが、先のリンクページにある、彼と一緒に写真に写るヤマハのYZF−R1の姿を見て、「なんてカッコイイバイクなんだ」と思ってしまった僕は、まんまとUS YAMAHAの広報戦略にひっかかってしまっている訳である。

僕のような年代のリターンライダーにバイクを売るのは簡単である。80年代にヒーローだったライダーとバイクをイメージ的にくっつけてしまえばいいのだ。ヤマハだったらローソン。ホンダならスペンサーやガードナー。スズキならシュワンツ。カワサキ、、、は当時GPを走っていなかったけれど(あえてあげればコークバリントンか?知ってる?)、とまあそんな感じである。

時代は変わっても、憧れは消えないものなのである。

2005年型CBR600RR、ついに現る。

1vyabc11.JPG先だってはネット上に転がっていた不確かな情報で話をしてしまったが、ついに公式にその詳細がリリースされた。

>2005 Honda CBR600RR

外観上のイメージについては大きな変更はない。エアダクトがカウルのセンターに移設されたことで、よりラムエアの効果を高めるのに合わせて、同型のMotoGPマシン、RC211Vイメージをより強く打ち出そうとしていることが伺える(が、これは僕に言わせればホンダのフラッグシップであるCBR1000RRのイメージ的な傘下に単に収まったものとしか思えないのだが)。シルエットとしては、現行型に大きく違えるものではない。

一方、採用されているイクイップメントについては、微に入り細に入り変更が加えられている。総合的に見て、これはマイナーチェンジ、ビッグマイナーを越えて、フルモデルチェンジに等しい内容であると言えるだろう。

何よりも大きいのは、車重の大幅な軽量化である。乾燥重量で163kgというのは、現行機の171kgに比べてなんと8kgもの減量を果たしている。
クルマと違って固体容積の小さいバイクでこれだけの軽量化というのはただごとではない。
別所にあったプレスリリースを見ると、軽量化の内訳は、マフラーで1.4kg、シャシー(フレーム)で1.5kg、シートレールで0.7kg。その他エンジン、リアスイングアームetcを合計してそれだけの重量を軽減させたらしい。これまでが無駄に重かったと言われてしまえばそれまでだが、しかしこれはにわかには信じがたいレベルの軽量化である。

また、イクイップメントの変更に合わせて見た目上の変化もあって、なにより(みなさんお待ちかねの!)倒立フロントフォークがついに採用された。ただ、これはプレスリリースを見ると非常に微妙な物言いでその採用に至る経緯が書かれている。ポイントとしては、現行の正立でもレース等ではなんら問題なく高いパフォーマンスを発揮しているが、要は市場の要請(倒立の方が見た目の商品価値が上がる)と、あえて理由を付けるとラジアルマウントのブレーキキャリパーが、倒立化によって採用できるから、とあった。そう、別段正立で剛性云々が足らずに倒立化、という表記はどこにも見あたらないのである。これはホンダの開発と販売双方の、本音と建て前が垣間見えて面白い。

しかし、である。倒立化と軽量化、この二大変更点に関しては、僕としては大きな矛盾点を感じざるを得ない。

倒立フォークは一般的に正立よりも高剛性であり、高い荷重域でその真価を発揮するものであり、それはすなわち、フォークが取り付けられているシャシー(フレーム)にもこれまでより大きな負担を要求するものである。
しかし今回のモデルチェンジで、同機は基本的には同型のフレームにおいて1kgを越える軽量化を行っている。これは独自の鍛造技術によって成型されたアルミフレームの肉厚を削ることによって達成しているのだそうだ。
ホンダの言い分では、「不必要なところの」フレームの厚みを減らし、「強度を落とすことなく」それだけの軽量化を行ったということであるが、常識的に考えて、強度と重量というのは概ね比例関係を持つものであり、それに合わせてフォークの倒立化による強度要請というものに、果たしてどこまで現実的な対応を果たしているものなのか、これは非常に興味深いポイントである。

イメージしてみて欲しい。アルミ1.5kgの固まりを。これが発揮するであろう剛性を。フレームの補強(筋交いなり溶接なり)が別に入っているならまだしも、単に肉厚を削ってこれだけの質量が保持していた強度を補わせるというのはどのようなマジックを使っているのだろう。

なにより僕は、現行機のフレームですら強度不足ではないかと考えているのである。

ホンダの言う、フレックスシャシー(コーナリング時、フレームが弾性変形することでコーナリングフォースを稼ぎ出す)の概念というのは、これは実物に乗って感じたのだが、僕は机上の理想論ではないかと思うのだ。
確かにフレームが適度に変形することで、タイヤのキャンバー/スリップアングルを変化させ、コーナリング性能を高めることができるというのは事実であろう。実際、そのコンセプトで作られている現行のCBRは、フレームをしならせることで強烈に曲がる、独特のコーナリング性能を獲得することに成功している。

しかし、これは僕は考え方として基本的に間違っているのではないかと思うのである。

なによりシャシーが変形することで問題となるのが、サスペンションが所定の設計性能を発揮できなくなるだろうことである。ちょっと考えてみても、前後サスペンションの取り付け上下のいずれかは必ずフレームに繋がっているわけで、それが動いてしまうということは、煽動部のよじれやねじれが常に発生するものになってしまう。そうなった場合はサスペンションとして想定されるダンピングなりスプリングの動きがどこかしら必ず阻害されるものになるはずである。

そして、もうひとつはアライメントの問題である。

シャシーがしなることで、それが「常に良い方向に」働くとは限らない。これは実際に現行のCBRに乗っていて感じることであるが、かかる荷重や路面のアンジュレーションの変化で、露骨に旋回性が変化してしまう。特に一般道にありがちな、路面のうねりや継ぎ目にコーナリング中にマシンが乗ってしまったときに、急激にマシンが曲がったり、あるいはその逆に曲がらなくなったりする傾向があるのだ。これにはかなりの慣れを要する。

このフレックスシャシーが真価を発揮するのは、あらかじめコーナーの曲率なり路面状況なりが察知できるコースにおいてのみであろう。そう、それはすなわちサーキットである。
サーキットのように、あらかじめ各コーナーでどれくらいの旋回荷重がマシンにかかり、その時にどれくらい(シャシーが、そしてマシンが)曲がるかが判っていれば、このフレックスシャシーのもたらす旋回性の向上というのにも対応ができるだろう。しかし一般道ではそうはいかない。路面は日毎に変わるし、常に一定のラインで走れるものではないからだ。

*蛇足であるが、例のユニットプロリンクも一般道に向かないサスである。すでに長文なので詳細は割愛するが、このサスに採用されている奇妙なリンク構造のせいで、瞬間的な荷重変化が起こると、サスそのものがリジットになってしまう(伸圧双方)。これも路面変化の激しい公道でのライディングの対応が難しい部分である。

せっかくの高剛性を発揮するアルミフレームを、わざわざ曲がるようにして強度を設計する?確かに高度な技術であるが、僕はこれは一過性のトレンドみたいなもので、早々にまた完全剛体への道に戻るにではないかと思っている。
鉄フレームの時代がまた戻って来るというのなら話は別であるが。

なにはともあれ、新型の真価は走らせてみないと分からない。もちろん微細に採用された新技術によって、確実にポテンシャルアップが図られているものになっているだろう。しかし基本的には、現行型のコンセプトをより一層発展させたものである。それを軽量化と倒立サス化で具現化を図っている(と僕は理解した)のである。

正直、買って一年も経たずに新型がリリースされたのは内心忸怩たるものはあるが、ここまで書いてきたことを読んで分かるように、僕はこのCBR600RRというバイクが打ち出しているコンセプトそのものにいささか大きな疑念を抱いている。高性能を達成するには様々な方法があるが、そこで採用される技術、あるいは設計的な思想・哲学というものが、このバイクにおいては、あくまで僕の視点からみて、理想と現実が乖離している印象が拭えない。あまりに高尚な設計思想に、それを操るライダーの存在が置き去りにされている感があるのである。

まずはバイクの求める走り方にライダーが合わせること。妥協はなしで。

たぶん、おそらくであるが、新型ではより一層、その傾向に拍車がかかっているのではないかと僕は感じている。

果たして。

世界平和のために出来ること

他人にいちいちとやかく干渉せずに、自分のことをきちんとやる。



最低限、自分のケツだけ拭いておけば、他人に迷惑をかけることはないだろう。



世界がこれだけ不安定で荒んでしまっているのは、それすらできない人間が多すぎるからだ。



だいたいなんでそんなに他人のことを気に掛けないと生きて行かれないのだろう。



人が生きることそれ自体は、もっとシンプルであるべきだと思う。



だから僕のことにいちいち構わないでくれ。

合併反対!

あー、これはダメだ、賛成できない。

>マイプロフィールは9月中旬ドリコムBlogと名前を変え新しく生まれ変わります!

ドリコムってあれだろ?ヤプログやってるところだろ?

ヤプログは全然ダメだ。以前申し込んでしばらく使っていたが、まったく使い物にならなかった。夜になると重くて遅くて書き込みも閲覧もできなくなってしまうのだ。

スキンがマイプロフィールと同じだったので、かなり深い提携をしているんだろうと思ってはいたが、まさかヤプログのシステムそのままで吸収されてしまうとは思いもしなかった。

マイプロフィールは完全無料で広告もない奇跡的なブログサービスだったが、それもこれで終わりである。

潮時かもしれない。

[追記]

ヤプログの何がダメって、投稿文字数の制限が厳しいこと(確か2000字だったか?)だ。これは僕のように無駄に長文を書く人間にとっては囚人の足枷についている鉄球のようなものだ。もしこの制限までそのまま移設されるならまったくお話にならない。

アクセスの速い遅いは最終的にどこのサーバに移されるかに依るだろうが、これがヤプログ側になろうものなら即死である。

おまけに、ヤプログでは投稿ページに奇妙なスクリプトを走らせているのでこれもアクセスを不安定にしている要因である。いまも試しにヤプログの投稿画面にアクセスしてみたら、ここ(マイプロフィール)で書きかけの文章モロともPCが固まってしまった。

ぶっとばすぞって感じなのである。

頼むから、最低でもサーバの運営と投稿関連の制御はマイプロフィール方式で行っていただきたい。

こうしたファン(ユーザー)の声を無視して統合は進むものなのであろう。
野球ファンの気持ちがほんのちょびっとだけ理解できた、ような気がしないでもない。

5年目を迎えて

冗談のような話だが、今日が結婚記念日だということをすっかり忘れていた。カミさんすら、朝、「ごめん、わすれてた。おめでとう」と僕が言ってもしばらくきょとんとしていたくらいである。

一応の記念日として忘れにくいようにわざわざ9/9にしたというのにこれでは何の意味もない。



結婚5年目である。



なんだかんだであっというまであった。良いことも悪いこともあったけど、おしなべて平穏な日々だった、と言えるだろう。



もっとも、細かく見ていけばこの5年の間には僕が会社勤めを辞めたり自営で店を始めたりイヌが死んだりネコを拾ったりと、普通に考えればかなりなことが起こったわけだが、僕もカミさんもそれを別段大袈裟に捉えたりはしなかった(少なくとも僕は)。必要なときに自分たちでできることをできるかたちでやっただけだったからだ。全ての物事は起こるべくして起こった。それをいまさらとやかく言っても何にもならないのである。



別に平穏無事で退屈な人生だけを望んでいるわけではないが、だからといって無理矢理自分の人生に波風を立てるつもりもない。



and so it goes.



なにをしてもしなくても、起こるべくして起こったことにひとつひとつ落ち着いて対処していくだけなのである。未だ起こっていないことに気を揉んでもクソの役にも立ちはしないのだから。



日々を勝ち取るための戦いは、ささやかに続く。

諸行無常の響きアリ

髪の毛を切りすぎた。



さすがに3mmでのフルバリカンは短すぎである。これでは坊主丸儲けである。鏡を見るたびに自分で自分にぎょっとする。



さっきこのアタマでヘルメット被ってバイクででかけたのだが、街中でヘルメットを取ると周りの人がちょっと振り返る。「坊主がバイク(CBR600RR)に!?」



当分はバンダナが手放せない日々である。

圧倒的じゃないか!

>MotoGP Rd.11 @ポルトガル結果

ロッシ圧勝である。

割と接戦の続いていたMotoGPクラスにおいても希に見る独走優勝であった。予選でポールを獲得した玉田選手、途中トップのロッシに2,3秒差まで詰め寄るが、最終的には5秒以上突き放されての2位である。表彰式後のインタビューで、玉田選手は冷静に「ロッシにコントロールされていた」と言っていたが、まさにそのとおりで、トップと二位の差は、非常に厳密にロッシによって規定されたものであった。あえて言うなら、あの5秒差で格の違いを見せつけ、遊ばれた感すらある。それが判っているからこそ、レース後の玉田選手は諦め半分で憮然としていたのである。ロッシ完勝。玉田完敗。それが今回のレースの展開であった。

そして3位、バロス。4位、ジベルノー。

ジベルノーの今回の4位は、単なる敗戦以上の問題を、今後に残すものだろう。これはもちろんロッシとのポイント差において、必要以上の差をここにきてつけられることになったからである。二人の間に、タイトル争いにはすでに本質的に関係のなくなっているバロスと玉田が入ることになったことは、ジベルノーにとってはまったく想定外の出来事であったに違いない。

確かに今回のジベルノーのマシンはブレーキングからリーン、エクジットに至る全てのパートで挙動がおかしかった。チャタリングとアンダーステアがのべつまくなし発生しているのがテレビ画面からも判るくらい酷いものであった。セッティングが出ていない。それはもう明らかすぎるほどであった。
こういう時のジベルノーは、あまりにも弱い。あっけなく攻めの気持ちが引っ込んでしまう。「勝てなくてもしかたない」すぐに勝負を諦めてしまうのである。
タイトルを狙うには、あまりにリアリスティックかつペシミスティックに過ぎる性格傾向である。
もし今回のレースで、タイトルのことを考える余裕があったなら、せめて直前を走るバロスは、何が何でも追撃しなくてはだめだったろう。

しかし彼はそれをしなかった。

それができないくらい悲劇的なマシン状況であったのは事実であろうが、そういうマシンにしか仕上げられなかったのは誰あろうジベルノー本人の責任である。

>ジベルナウ:「僕たちに相応しい成績だ」

彼は実に物わかりが良い。紳士的に過ぎるほどである。

MotoGPクラスを走るほどのトップライダーにおいては、皆テクニック的な差というのはほとんどないと思っている。それなら勝負を分けるものは何か?マシンの差か?セッティング能力か?違う。それはもちろん何が何でも勝利を勝ち取ろうという意志の強さである。

かつて3年連続世界チャンピオンを獲得し、キングの称号を持つケニーロバーツは、「自分以外の全員を殺すつもりで」レースに臨んでいたという。これはその後彼の後を継ぐかたちでチャンピオンとなったエディ・ローソンも同じようなことをよく言っていたが、勝利への意欲、意志の強さとはつまりそれくらい張り詰めたものだということだ。

今季、それまでのホンダからヤマハに移籍し、まさかのトップ快走を続けるヴァレンティーノ・ロッシ。彼の速さの秘密も、つまりはここにあるのである。「何が何でも勝つ!勝利以外は何の意味もない!」その強烈な意志力とそれを持続させるモチベーションのエネルギーが、他のライダーに比べて抜きんでているのである。テクニックはあくまでそれを横から支えているにすぎない。チャンピオンライダーとその他のライダーを分ける分水嶺がこれなのである。

ジベルノーがタイトルを獲得するためには、場合によっては他人を押しのけ、傷つけてでも前に出よう、勝とうとする意志力を、どこかから引き出さなければ、いまの彼に、単にテクニックとチーム力だけで、そう簡単にロッシを追い落とすことなどできないと、僕は思う。

ネコ、帰る。

胸部の異物的な腫れに見舞われた我が家のネコ。



一晩の入院加療を経て、無事帰ってきた。



医者曰く「異常は異常であるけれど、原因はよくわからない」。



レントゲンを見ても骨折はしていないし、内臓的な疾患でもない。でも確かに胸部の一部分が腫れて膨らんでいるし、触ろうとするともの凄く嫌がる。



それがなんでかよくわからない、と。



おそらく、家の中のどこか高いところから墜ちるかして、胸部をぶつけてそれで腫れて痛がっているんじゃないかと。まあ確かにそれくらいしか考えられない。(先月には実際そういう事故があって顎の下を切った)



帰宅時はなんとなくぐったりして元気がなかったのだが、いまではだいたい元通りの様子には戻った。胸の腫れはあるけど、触ると嫌がるので当分は放置し経過観察に気を配ることにしよう。



しかし今回のこの不意の入院には正直参った。もちろん彼女の健康が第一だが、この入院に、注射だレントゲンだなんだかんだと思いもかけず費用がかかったため、これがなければできたはずの彼女の避妊手術も先送りせざるを得なくなったし、つまらない話だが、僕のバイク(CBR)のオイル交換も当面はあきらめるしかなくなってしまった。



しかし、ネコが一晩いなかっただけで随分とさびしい思いをさせられた。帰ってきて、それまでと変わらず甘えてくるネコをなでてやっていると、とりあえずは元気でよかったと心底思った。



「にゃあごにゃああーん、にゃごろにゃーん」



おお、よしよし。好きなだけ甘えるがいいさ。



「にゃあごごごごごろにゃーんごろごろなーん!」ひたすら身を寄せてくるネコ。



どうした?そんなに病院での一晩はさびしかったのか?すごい甘えるなあと思って2秒。



・・・さかりだ。さかりが来た。



これからしばらく寝不足の日々が続きそうである。

最近の子供たちときたら

なんだか自己正当化傾向が激しいな。

「いまの僕たちを認めてよ!」

主張だけは大したものだ。

>NHKスペシャル・子どもが見えない

僕らが子どもの時代だって同じように虐げられてきたし、軽んじられてきた。でもだからなんだっていうんだ。そういう縛りや括りの中でだって学べることがある。むしろそういう状況でしか学べないことがある。

我慢。

我慢が足りずに、自分の自由ばかりを優先させることが、対外的な攻撃傾向として発現し、最終的には人すら殺す事態になっている。

我慢がなければ、自律的に状況を判断し、冷静に行動することなんかできるわけがない。

大人は子供たちに自由を与えすぎた。それがあるいは子どもに対する無関心とイコールであったとしても、子どもが望む自由を大人は無条件に与えすぎてしまった。
そしてそのゆがんだ弊害に、大人自らが苦しめられる結果になっているのである。

僕はそう感じている。

とにかく子供時代は死ぬほど我慢しろ。我慢することを覚えろ。孤独のうちに戦うことを知れ。それができないから安易に他人を殺す人間になるのである。

胃が痛い