モーターサイクル>ネコ>ゲーム。僕の人生いまのところまあそんな感じ。この先もずっとそうかは分からない。web2.0時代に抗うかのように、1.0コンセプトを貫き通すBLOG。

月別【200408

09 08 07 06 05 04 03 02 01 12 11 10 09 08 07 06 05 04 03 02 01 12 11 10 09 08 07 06 05 04 03 02 01 12 11 10 09 08 07 06 05 04 03 02 01 12 11 10 09 08 07 06 05 04 03 02 01 12

威圧的な食べ物

t9k0ujme.JPGこれを目の前にした僕は、得も言われぬプレッシャーに言葉をなくしてしまった。

いつ、どのタイミングで食べれば良いのだろう…。


平日休みの過ごし方

これまでは日曜だった仕事の休みを、諸々の事情を鑑み、9月から平日(月曜)に移すことにした。



日曜が休みだと、せっかくの休みでどこかにでかけても、混雑と渋滞が避けられなかったのだが(それでイライラして疲れて帰ってくる)、平日休みならそれもあまり関係なくなるだろう。



しかし。



思い返すに、生まれてこの方休みは日曜というのが、生活慣例・慣習として身に染みついているせいか、これからの月曜休みという状況に思いを馳せてみても、どうもうまく月曜日に休んでいる自分というのがイメージできない。



休みは休み。同じ一日であるのに、なんだか何をしていいやら分からず、途方に暮れる感がある。おかしなものである。



ともあれ。



リアルな世界での僕を知る人で、ここを見ている人はほとんどいないであろうが、そういうことなので、店の定休日が日曜から月曜に変わります。お間違えなきよう。

キミの人生が不満だらけのその理由

それは自らの成功に関する確たるイメージを持たず、そのくせ自分の(あるいは他人の)人生に要求ばかり突きつけるからだ。



明確なニーズに基づかない言われなき欲求のみの高まりは、いたずらにキミの不満だけを増長させる。



不満だらけのつまらない人生を送っているのは自分のせいだと思い知れ。

持ち越され続ける誤謬

この超高度情報化社会において、いまだにバイクは深く寝かせた方が良く曲がるという誤謬(ごびゆう)がまかり通っているというのはいささか嘆かわしい事態である。



最も僕が嫌悪するのは、バイクを寝かせたいがためにステアリングをアウトに当て続け、向きが変わらないからさらにステアリングをアウトに当てることでバイクを寝かせ続けるようなライディングをしているライダーである。



キミはバイクを寝かせたいのか?それとも曲がりたいのか?どっちだ?



曲がりたいならハンドルを切れ。インに。単にバイクを寝かせたいなら、同じくハンドルを切れ。アウトに。そしてそのままアスファルトの上で寝てしまえ。



バイクは寝かせる(バンク)させることで曲がるというのはあくまで物事の一面であって、モーターサイクルのコーナリングにおいて、方向転換を主目的とした場合は、バイクを曲げるという行為により直結するのは、バイクを寝かせることではなく、「ハンドルをイン側に切る」という行為なのである。その点ではクルマ(四輪)と同じなのだ。このことが分かっていないライダーがあまりに多すぎる。



「なああああにいっちゃってんのおおっさん!バイクは寝かせてナンボでしょうがあ!」



もちろん、バイクはバンクさせなければ曲がらない。コーナーに対してイン側にハンドルを切っただけではバイクは外側に倒れ込む(起きあがろうとする)動きをするだけで決して曲がることはない。



すべてはキャンバースラストとスリップアングルである。これについてどれくらいのライダーが、そのそれぞれの効果について考えながらライディングをしているだろう。



キャンバースラストとは、回転するタイヤが鉛直方向に対して傾いた方向に曲がっていこうとする力。硬貨を転がしたときに倒れ込んだ方向に曲がっていく、あれである。スリップアングルとは、タイヤの進行方向に対して、ステアリングを切った分だけ生じる、進行方向との差異。それを利用することで方向を変えることが出来る。これはクルマ(4輪)のステアリング操作で得られる効果そのものである。ものすごく大雑把に言えばそういうことだ。



バイクにはタイヤがついている。だから走るし、曲がるし、止まることができる。もしバイクにタイヤがついていなかったら、耕耘機以下の存在である。タイヤがついているから、先のキャンバースラストとスリップアングルが生じ、コーナリングにおける方向転換ができるのである。



「だったらやっぱり寝かせりゃ曲がるってことじゃんか!」



だからそれは物事の一面なのである。なぜ曲がるときにバイクを傾けるのか。それはコーナリングで発生する遠心力に対抗するため、求心力方向にその分の重心を移動させる必要があるからである。そのためにバイクを傾けている。このときタイヤも傾くので、同時にキャンバースラストが発生し、バイクを曲げようという力が発生するのだが、それはあくまで副次的なものなのである。



もちろん、スピードが高まれば高まるほどにバンク角が必要になるのは周知の通り。これは遠心力がその分高まるからというのは言うまでもない。寝かせば寝かすほどにキャンバースラストも高まり、曲がる力も増す。これも真。しかし繰り返すがそれは一面でしかない。バンク角はコーナリング速度とコーナーのRの兼ね合いで必然的に決まるものであって、それ以上でもそれ以下でもないのである。



一般のライダーは、あまりにこのキャンバースラストに頼りすぎである。というか、巷に溢れる「ヒザ擦り」幻想のために、やたらとマシンを寝かすことだけに必死になり、あげく転倒の憂き目に遭うという事例が後を絶たないわけである。



ここで改めて言っておこう。コーナーはヒザを擦るためではなく、曲がるためにあるのである。



曲がる力と、前後タイヤの関係を、間違ってはいるが意味上は正しい式で表すとこうなる。



F:R=スリップアングル>キャンバースラスト



つまり、曲がる力は、バイクを寝かせることよりも、ステアリングを切ってフロントタイヤに生じるスリップアングルの方が大きいということだ。バイクの向きを変えるのは、あくまでフロントタイヤの仕事なのである。よく言われるリヤステアであってもこれは変わらない。もし本当にリヤタイヤだけで向きが変えられるなら、フロントタイヤを取り外したバイクでコーナリングをしてみて欲しい。



蛇足までに言っておくと、某ライダースクラブ系の言う「リヤステア」あるいは「後ろ乗り」は、あまりにフロントタイヤのことを蔑ろにしすぎていて、僕は賛同できない。というか、リヤタイヤのキャンバースラストのみに頼ったあの乗り方は、タイヤの性能が低く、バイク自体の運動性能も相当に低い時代の遺物であると思う。もっともそれとは逆の、「前乗り」に拘りすぎるのもどうかと思っている。バイクはあくまで二輪で走るものであって、フロント、あるいはリヤ「だけ」で走るものではないからである。



使えるものは全部使え。それがモーターサイクルライディングなのである。そして、(あなたが、あるいは僕が)バイクのコーナリングにおいて、バンク角に依存したキャンバースラストのみに頼ることなく、より積極的にフロントタイヤのスリップアングルを完全に使いこなすことができれば、もっと安全に、それはつまりより浅いバンク角で、安定して効率的なコーナリングができるはずなのである。



意識的にフロントタイヤの舵角をコントロールできるようになれば、きっと(あなたや、あるいは僕のように)そんなにおっかなびっくりコーナリングすることもなくなるであろう。

意味がない

ものすごい台風であることは分かる。だけど、マイクで音もろくに拾えないような状況なのに、わざわざ「外で」リポートをする意味がどこにあるのだろうか。いまテレビの(ワイドショー系の)台風に関するニュースを見ていて、そのあまりの酷い雨風の音で聞くに堪えず(リポーターの声がまったく聞こえないのに5分以上もそのまま垂れ流し)チャンネルを変えてしまった。

情報価値は作り手の良識と常識に比例すると常々思っている。

>台風16号、熊本県を北北東に 九州ほぼ全域が暴風域

九州には親類が多いので心配だ。

雨なので

t10u2vg1.JPGネコに遊んで貰っている。


今月のライディングスポーツはDVDがついている。

>ライディングスポーツ 2004年10月号

---特別付録:オリジナル編集DVD 
  MotoGP2004前半戦ダイジェスト

サマーブレイク明け

というか、ほぼ一ヶ月の夏休みというのは見ている方もいささか集中力と緊張感をなくしてしまう。

>MotoGP@チェコ地上波オンエアは1週遅れで本日深夜26:50〜27:50(60分)

結果は知っているので、まあ内容の確認というか。一言言っておくと、玉田選手、得意科目とそうじゃない教科との落差がありすぎではないかと思ったわけであるが、フロント重視のマシンなりに走ると必然的にもたらされる結果であるというかなんというかまあそう言う感じである。このことについてあまりつっこむと、ある流派の反発を確実に買うので慎むけれど。

見たら以下に感想追加予定。

@@@

見た。・・・。

ひとつ判ったのが、やっぱり僕はロッシのことを自然と応援しているということだった。僕は今シーズンから(過去のWGP時代以来ほぼ10年ぶりにはじめて)MotoGPをしっかりと見始めたので、これまでの「ホンダの」ロッシというのを全く知らない。だから今季からの「ヤマハの」ロッシというのに違和感がない。そしてもともとがヤマハのファンである僕は、やはりヤマハのマシンでトップを走るロッシをおのずと応援してしまうのである。

今回のブルノでは、ヤマハの(ロッシの)マシンは総じてトラクションが不安定でかなり苦労して攻め込んでいる様子。終盤のアタックが不発に終わったのは、ロッシとしてはダメモトだっただろうし、いたしかたなしであったであろう。チェッカー後、ロッシは真っ先にメカに不満げな表情でマシンについてのコンプレインをしていることが、事態の深刻さを物語っているようだった。

一方優勝したジベルノー。正直僕的には彼のライディングでどうしてあんなに速いのかよく分からないのである。というか、彼のライディングはなにをやっているのか傍目に伝わってきにくい実に「渋い」もので、ロッシがその闘志を外に発散しながら走るのに比べて、彼は内に秘めてというか、スライドコントロールにしても、断続的に小さく長く行っているから、なんだかあまり攻めて走っているように見えないのである。

なによりマシンをよくまとめている。

他のホンダ勢と比べると、ジベルノーのアドバンテージはマシンのセットアップ能力であると言える。
彼がよく言うように、チームとしての総合力ということにもなるだろうが、レースディスタンスを見据えた戦略的なマシンセットが出来ていることが彼の強みであり、場合によっては弱みにもなる。
ロッシが本来的には勝てないマシンで勝つ走りをしているとしたら、ジベルノーは勝てるマシンで勝つ走りをしている。

とまああえて感想を言うなら今回はこれくらいである。レースの展開が前半と後半に散逸傾向だったので、ちょっと見ていても集中力が散ってしまったし、なにより結果が先に分かっていたので流して見てしまうのであった。

週末の宿敵

ちくしょう。今度の日曜は、超久しぶりに自分の自由になる休みなのに、まるで狙ったようにこいつがやってきやがる。

>台風16号情報

誰か呼んだ?こうまで露骨にコースを曲げることはないのに。

バイクはすでに磨いてぴかぴかぴかぴかぴかなのに。

しかたない。もっと磨いてぴかぴかぴかぴかぴかぴかぴかぴか。・。・゚★・。・。☆・゚・。・゚

にでもしてやるかこのやろーである。

憂鬱

キミの言い分を総合すると、悪いのはすべてキミ以外の全ての人だってことになるね。



そうやって死ぬまで他人だけを延々と責め続けていればいいさ。



正しいのは自分だけ。



まあそれもいいだろう。



でもそんなくだらない物言いに、この僕を巻き込むな。

同情は、あまりない。

>合併阻止!古田選手会、仮処分提訴を通告

まあつくづく古田も損な役回り引き受けちゃったよなと思うわけである。僕は古田は好きだけど、申し訳ないけど、この立場で振る舞う彼は馬鹿に見える。ファンの声ってなんだ?プロ野球を支えるファン?ファンだけじゃ支えられないからこういうことになったんじゃないのか。プロ野球はまずは自らを支える術を自ら身につける必要がある。ファンがどうこうじゃなくて。ファンがこう言うからというのは単なる方便上の逃げだ。「まて、合併は待ってくれ!」それならそのあとのビジョンをまず示せ。

プロ野球選手といえども、金で買われているサラリーマンであることには変わりないのである。本気で親会社の合併に抵抗する気があるのなら、発言権を持てるくらいの株を買い占めるとかしなきゃだめだと思う。そういう意味では新リーグ設立とか言っていたナベツネや、新球団を作ると言ってるライブドアの方が、強引で幼稚ななりにもビジョンがあるし、覇気があるし生産的で発展的である。どっちも嫌いではあるが。

僕個人はプロ野球はなくなってもまったく困らない人間だが、傍目とはいえこういう歯切れの悪いやりとりを見せられるのは御免被る。どうするんだか、どうしたいんだかしたくないんだかが、さっぱり分からないからである。

ライディングテクニックの探求

あるいはドライビングテクニックでも同じ。



もしそれがタイム(速さ)だけにこだわったものであるなら、その追求とは、単に自分の操作とマシンの動作を、理論値・理想値に近づけるためだけの、単純作業の繰り返しに過ぎない。もしそれに飽きを感じる部分があるとしたら、つまりそういうことだ。



キミが一喜一憂しているのは、単に路面やマシンといった外的要因、あるいは体調や精神面といった内的要因の差異で発生する"ブレ"を、自らのテクニックで吸収していると"勘違い"しているだけであって、やっていることは、目指すものに向けた単純作業の積み重ね、繰り返し、ということに変わりはないのである。



それが出来る=優 それが出来ない=劣



単純化作業の行き着く先はつまりそれか?たったそれだけのことか?



本質部分に目を向けると、大抵の物事は、馬鹿馬鹿しくて嫌になるくらい単純だ。そこにこだわっている姿は、それを求めない者からすれば滑稽にすら写るものである。



正直なところ、僕はもはやそういうことはどうでもよくなっている。バイクやクルマに乗って、モータリゼーションに参画する上で、自分が死んだり、他人を殺したりしないだけの技量あるいは自制心さえ備わっていれば、僕はそれ以上のものは求めない。僕に向上心があるとすれば、そのレベルを常に一定以上に保っておこうとすることにおいてのみである。

重い

自分に架した十字架があまりに重すぎて、押し潰されてしまいそうだ。



それでも誰も助けてはくれない。



そういうものだ。



分かってはいるけれど。

先に進め

くだらない愚痴を言ってる暇があったら。

環境負荷?

別に悪いことじゃないけど、純粋に環境負荷を考慮するなら、原付ではなくもっと大きな排気量でやらないと意味はないと思う。

>ホンダ、ハイブリッド・スクーターの市販準備

デザインは悪くない。ただ、全体の流れを考えると、フロントはテレスコピックではなく、片持ち系にしたいところである。せっかくのデザインの新規性を、旧態依然とした機構が殺している。

@@@

とか言ってたら、なんてことはない、どうやらホンダは環境対応を打ち出したバイクをまとめて発表したようである。他にも記事があがっていた。

>ホンダ、燃料電池二輪車を開発

>ホンダの原付電動二輪車「より気軽に」 …商品化へ

現状ではスクーター系が先行しているようであるが、これは実利実益よりは、こうやって環境対応をおおっぴらに打ち出すことで、企業のイメージを高めようという狙いの方が現時点では強い、と僕は感じているがどうだろうか。

ハイブリッド、あるいは電動化によって、環境対応を果たそうとしているモーターサイクルにおいて、僕のような人間にとっては、その他のスポーツモデルの行く末が気になるところである。スクーターでは心底のスポーツライディングはできないのだから。

取り締まりは厳しく。

だいたいがいいかげんな人間が横行するから、官憲の取り締まりが厳しくなる憂き目に遭うのである。馬鹿は何をやっても自業自得なのである。

>運転中の携帯使用、罰則適用は11月1日から

がんがんがんがん取り締まっていただきたい。

目視統計でも、ウチの近所なんかだと4割以上と思われる比率でどいつもこいつも携帯片手にうつろな目で運転してやがるのである。原付バイクなんかも、メール打ちながら走ってるのとか平気で見かけるのである。こないだは、半帽ヘルの隙間に携帯突っ込んで馬鹿話しながら運転してるバイクとかもいたが、これは一応ハンズフリーなので問題はないの、かもしれないけれど。

とにかくも、運転中の携帯使用者は、個人的には(真剣にドライビングorライディングに向き合っていないという点で)まとめて獄門打ち首級の罰則を与えるべきと思うのであるが、温情溢れる官憲は、とりあえずの罰金で許してもらえるようである。なまぬるい世の中である。携帯に気を取られ、自分がどこでなにをしているかも分からないような注意力散漫な状態で運転をしていて、人を殺すような事故を起こしてから後悔しても遅いのだから。

しかしみんなよくそんなに(クルマの運転してる最中までも)他人と話すことがあるなあと、別に一日中誰とも口を聞かずにいてもなんの苦痛もなく、むしろその方がラクだと思うような僕という人間にとっては、呆れることしきりである。

一日のはじまりと終わりに、ネコににゃあと声をかけるくらいで僕のコミュニケーションは基本的に完結するのだから。

CBR600RRにダメ出しをする。

今日は肌寒いくらいの涼しさ。昨日とは10度ほど気温差があるようである。

もう秋だねえ、である。

もっとも、明日からはまた残暑の戻りがあるようなので、今日の涼しさはイレギュラーでしかないようだが。

そんなこんなで、タイトルの件である。

大した距離は走っていないとはいえ、数少ない走行時には、それこそ神経を研ぎ澄ませてバイクの挙動に注意を払って走らせている。乗り換えた当初は、これまでに経験のないクラスの排気量とパワーに多少面食らう部分もありつつ(僕はクオーターマルチあるいは2stクオーターの経験しかない)、しかしそんなものにはあっという間に慣れてしまった。パワーなど所詮パワー。お金と一緒で、あっても困らないし、なくてもそれなりになんとかなる。ただそれだけのものなのである。

マシンに対するおおまかな印象、コンプレインは、先のエントリーにあるとおりである。日常での使い勝手の悪さが、あまりにせっかくのマシンの素性の良さに影を落としている。僕(ら)はレーシングライダーではないのである。このバイクを購入し、走らせているそのほとんどは、ごく当たり前の、レーシングテイストのバイクが好きな(あるいは興味がある)アベレージライダーのはずであるし、実際に走らせている場所も、一般公道がそのほとんどの比率を占めているはずである。しかしバイクそのもののがあまりに硬派な作りなため、その使用途の大半を占める、日常走行においての我慢を強要される面が大きすぎるのではないかという疑念を僕は抱いているのである。

大事なところのフィーリングが悪い。

それを顕著に感じるのは、まずは先に挙げた低速域でのエンジンのドン付きである。

どんなに神経を払って慎重なスロットル操作をしようと、ほんの数ミリスロットルを開けただけで「ドン!」とバイクは前に出ようとする。リヤタイヤの駆動力が急激に変化し、それは明らかにマシンの挙動すら乱すレベルである。

ブレーキングからリーン、旋回を終え、スロットルを開けて立ち上がるところ、いわばバイクでのコーナリングのキモとも言えるタイミングで、このドン付きが発生すると、正直バイクを走らせる気力すら失せる。やる気を無くす。いくらコーナリング前半で慎重にバイクの挙動を整え、立ち上がりに備えようとも、ここまで酷いドン付きが出てしまえば、それまでの苦労など水の泡なのである。

なんでこんなに酷いことになっているのか。確かにクランクマスが小さいというのもあるだろうが、それだけでなく、インジェクションのセッティングが低速域ではおざなりになっているのではないかと思わざるを得ない。

昔のバイクで言えばキャブレーション、なのだろうが、インジェクションの場合は何というのだろう?とにもかくにも、これはもうちょっとなんとかならないだろうか。

もし僕がケニーロバーツだったら、「こんなキャブ(インジェクター)はゴミ箱に捨ててしまえ」と言っているところである。

そして次に大きなものは、ギアボックス。そのフィーリングである。

普通、400cc以上の排気量を持つバイクであれば、もう少しミッションのタッチにも、その価格に見合っただけの高級感みたいなものがあるはずであるし、そんなものは使ってる材料がしっかりしていれば、自然に備わるものである。

しかしそれがこのバイクにはない。

信号が青になり、バイクを発進させようとクラッチを握り、ギアをニュートラルから1速に落とす。

「どかん!」

!?どこかが壊れたのかと思うような衝撃が走る。これがこのバイクのギアが噛み合う音なのである。

これは明らかにギアのバックラッシュが大きすぎである。だからギアが噛み合うたびにその遊びの分だけの衝撃が発生するのである。期待するのは「スコン・スコン」というタッチであるのに、それが「ドカン・ドカン」である。

これはもともとの設計がそうなっているのか、あるいは単に加工精度が悪いのかのどちらかである。

確かに排気量分、ギアもでかいものがついているから、そのそれぞれのギアの回転慣性も大きく、ギアチェンジにもそれなりの衝撃が出るというのも分からなくはない。だが、これは明らかにそのレベルを越えて、何かが間違っている感を抱かせるに十分である。

ギアシフトの度に伝わるこの安っぽい衝撃が嫌で、僕はいまではそのギアチェンジのほとんどにおいて(アップもダウンも)、クラッチを使うことを止めてしまった。こうすればまだマシなのである。「ドカンドカン」が「ギシュンギシュン」くらいまでになるのである。さもありなん。これだけバックラッシュが大きければ、自然シフトペダルにテンションをかけ、軽くアクセルを抜いてやるだけでギアは勝手に次のギアへと飲み込まれていくのである。デメリットがメリットに変わる唯一の瞬間である。

しかし先のエンジンとこのギアボックスが組み合わされると、そのフィーリングは最悪であることは、容易に想像が付くであろう。バイクがいつどれだけの勢いで前に出るのか分からない。伝わる安っぽい衝撃が、ギアチェンジをすることすら躊躇させる。しかもそれは速度が遅くなればなるほど酷くなる。信号待ちで減速操作に入ることがこれほど気分を重くするバイクというのは他にそうはないはずである。

蛇足までに付け加えると、他にもフィーリング面で気になるがフレーム剛性。聞くところでは、このバイクはあえてフレームの横剛性を落とし、リヤタイヤ側も含めた二輪操舵的な動きを狙い、旋回性を向上させている、ということなのだが、これもあくまで僕の乗った印象では「?」である。
感覚的にはエンジンの背面あたりから、リヤのスイングアームピボットあたりの剛性が、かなり意図的に弱められているようで、それは街乗りレベルでも感じられるくらいである。というか、このバイクはフレーム剛性そのものを「あまり感じない」のである。あえていえばそれは「少し頼りない」印象すらある。

コーナリング初期でフロントタイヤをステアする。まるでクルマのステアリングを切るように。コーナーのアペックスに向けてフロントタイヤを半ば強引にねじ込んでいく感覚である。するとイン側に当てた舵角の分だけ強烈にフロントから旋回していく。これはこのバイクの最高の持ち味であり、強みでもある。突っ込みで曲がる。一次旋回で曲げるのが、このバイクのハンドリングの真骨頂なのである。
そしてその時、フロントタイヤの軌跡を追うように、リヤタイヤが追随する。このときにフレームがよじれ、リヤタイヤのキャンバー角が変化するのが感じられる。確かにここまですれば、フロント+リヤの旋回力を相当に引き出したハンドリングである。強烈に曲がる。確かにここまでは間違いなくそうだ。

しかしこのハンドリングには二面性がある。リーンも終わり、コーナーからの脱出に向けスロットルを開けていくと、通常はその駆動力から、自然とバイクのステアポイントはフロントからリヤに移っていくものであるが、それがこのバイクではあまり感じられない。スロットルを開けた以降の、バンクしたままの状態でのリヤステアを使った二次旋回が弱い。

僕的なライディングの組み立てとしては、この部分での旋回力に大きく期待するところがあるのだが、それがないので、仕方なく突っ込みでの旋回に頼らざるを得ない。実際にこれまでも、二次旋回でコーナーをクリアしようとしてそれができず(スロットルを開けても期待するほど曲がらなくて)仕方なしにスロットルを緩めるということが何度もあったくらいである。

感覚的には、スロットルを開けると、それまでインに切れ込んでいた(倒れ込んでいた)リヤタイヤが、スイングアームピボットを支点に(フレームがよじれて)フロントを残して急激に起きあがってしまうような感じである。
もしフレームの剛性がもう少し高ければ、この不意な動きをセーブできるのではないかと思うのだが・・・。

確かにどんなバイクでもそういう傾向はあるけれど、このバイクは駆動力を掛けると極端に曲がらなくなる。だからクリッピング手前まででしっかりを向きを変え、立ち上がりはマシンを立てて、まっすぐに立ち上がる必要に迫られるのである。しかし、個人的にはこの「スロットルで旋回力のコントロールができない」というハンドリングの味付けはいささか極端ではないかと感じている。
まさかスロットルを開け始めたときのあのドン付きを回避するために、スロットルで曲げられないように一次旋回に頼ったハンドリングに持って行ってるのでは、というのは訝った見方が過ぎるであろうか?

@@@

僕自身はあまり物事のネガティブ評価はしないのであるが、今回はあえてチャレンジしてみた。
それは、ホンダがこのバイクで提唱しているレーシングテイストが、市販車としてはいささか極端で、抑えるべきポイントを逸脱しているように感じており、そうしたポイントを改善さえしてくれれば、これまでにない、レーシングフィールを持った、使い勝手に優れた素晴らしいバイクに生まれ変わるであろうと期待するものがあるからである。

もっとも、こうした声がメーカーに届くには、よほどの僥倖とメーカー側の深い度量が必要となるであろうが・・・・。

許されざるものたち

個人的に絶対に認めないものがある。



酒飲み。



そして酔った勢いで説教をする年長者。



他者との相対評価でしか自らのポジションを確認できない無邪気なだけの馬鹿者たち。



覚えておけ。受けた屈辱は100倍にして返す。

CBR600RR・サスセット変更メモ

フロント伸び側減衰H(ハード)方向に半回転。ブレーキリリース後の戻りが若干早いことに対する修正。リーンに入った後、気持荷重がもう少し前に残っていて欲しい。

・・・フロントの減衰についてはこれでデフォルトに戻ったか?イニシャルは一段抜いてある。

>前回変更(このあとにもう一回変更している→コメントに隠れている)

車速をきちんとのせてから減速し、コーナリングさえできればフロントはがっちり路面を掴んで曲がっていくのだが、街中でそこまで理想的な荷重をかけられるコーナーなどほとんどない。セッティングをするにしても正味な話、あまりにも走行条件が一定しない街乗りでは、何を基準に合わせればいいのかが非常に漠然としたものになってしまう。あくまで感覚的に「こんなもんかな」レベルにしかならない。
街乗りレベルでは、タイヤとサスなんかついてれば(壊れてなければ)それでいいのである。

CBR600RRというバイクについて思うこと。

CBR600RRに乗り始めて、早5ヶ月。と、日にちだけを追えば確かにそうだが、走行距離は未だ500kmに届かない。呆れるほど乗っていない。

だいたいが乗る機会がないのである。日曜が雨ならダメだし、カラダの疲れを持ち越しているときもダメだ。乗れない。乗る気にならない。普段乗ればいいじゃないかというが、このバイクの致命的な欠点は、街乗りではすさまじく乗りにくい(薄い低速トルク・悪い足つき・常軌を逸する低速域でのドン付き、そしてエンジンからの殺人的放熱!!)、つまりこれは「ゆっくり走ることができない」バイクなのだ。だから、走るならおのずとアベレージの保てる場所を選んで、わざわざそこまで出向かなければならないのだ。例えば峠。例えばサーキット。

暇とお金が有り余っていればそれもいい。だが、いまの僕の生活環境ではそうもいかない。

このバイクに乗って痛感したのは、まんまレーサーを街乗りに使っても面白くもなんともないということだった。

僕は確かにレーサーライクな乗り物が好きだ。だからこれまでもずっとレーサーレプリカタイプのバイクばかり乗り継いできた。だが、このCBRは違う。カテゴリはレーサーレプリカだが、中身はほぼレーサーなのだ。レプリカではない、まんまレーサー。

もともとがST600という、非常に改造範囲の狭いレギュレーションのレースで勝つことを目的に開発されたのがこのCBR600RRというバイクなのである。いわばレーサーに保安部品を付けただけの状態で、市販されていると言って良い。

「サイコーじゃん!レーサーに乗れるなんて!文句なんかないさ!」

確かにそうだ。だが、レーサーが本来走るべき場所はサーキットであり、ひたすら信号でストップ&ゴーと渋滞の続く一般道ではない。一般道を走るには、それに向けたきちんとした調教が必要なのだが、このバイクはそれがされていないのである。

例えば低速の無いエンジン。合わせてピックアップが鋭すぎ、スロットルとのリニアリティを欠いた、俗にいう「ドン付き」を強烈に発生する、このエンジンである。それはレスポンスを優先し、クランクマスを極限まで削っていることに起因する。しかし一方で、そのおかげで超高回転域まで一気に吹けあがり、回しきったときに初めて最高のパワーを発揮するものになっている。

例えば熱。街乗りではちょっと走るだけで容赦のない熱がライダーを襲う。エンジンを回せば回しただけ、使ったパワーの分だけ、きちんと熱を放出する。腐っても600cc。水温はあっという間に100度を超えていく。このバイクでの夏場の信号待ちは、体重を一気に汗として放出するサウナである(痩せたい人にはお勧めである)。しかし、法規を多少無視したスピードで巡航さえしていれば、その熱は実に効果的にカウルから放出され、あれほど荒れ狂っていた水温も、80数度でびったりとキープされる。

「ゆっくり走れない」=「街乗りで使えない」=「僕がなかなかこのバイクに乗れない」とはつまりこういうことなのである。

僕がもう少し若ければ、若くて気力と体力に満ちあふれていれば、きっとこのバイクには毎日喜び勇んで乗っていることだろう。純粋なるスピード、純粋なるライディングのためなら、多少のリスクは脇に置いておける、あの若ささえあれば。

しかしいまの僕は違う。もはや若さに任せて突っ走る年齢でもないし、どうしてもリスクを回避する方向に心も体も行ってしまう。

勘違いしないで欲しい。僕はこのCBR600RRというバイクが好きだ。スピードの追求、ライディングの追求も好きだ。町中に溢れるそこいらのアベレージライダーよりもきっとずっと強く。
ただ、それを常時維持するだけの、維持できるだけの気力と体力が、僕にはすでに失われ始めているのである。

このバイクに本当に求められるのは、ブレードのエッジを削るような、心底集中したライディングである。それがなければこいつの本領は生殺しである。ただ走らせるだけでは、もはやレーサーであるこのバイクを満足させることなんかできやしないのである。そしてそれはライダーの満足感と比例するモノなのである。

あえてホンダにお願いをする。確かにレーサーライクな乗り物は必要だ。スポーツバイクはそれに比しただけのポテンシャルは持っていてしかるべきだ。だがそれならレーサーをそのまま売ってしまえばいいというのは、不特定多数の、十把一絡げの、月とスッポンのレベルを持った、一般ライダーを対象とした市販車としては、いささか優しさに欠ける作りになってしまう。
サーキットを走りたい人はベースとなるマシンさえ提供すれば、あとは自分で味付けをするはずである。
少なくとも市販車輌においては、もう少し、今少しだけでも、「日常での扱い易さ」ということについても考慮いただければ幸いである。
どうせアベレージライダーにとって、スーパースポーツバイクのポテンシャルを完全に解放して走るなんてことは、一般公道に置いてはなおのことできるはずなどないのだから。

ついては、この手のスーパースポーツバイクには、少なくともレーサーベースと市販車との棲み分け、グレードの設定をお願いしたいと思う(例えば、拘って申し訳ないがエンジンのクランクマスを増やすとか、シート高を下げるとか乗り易さを優先したチューニングメニューでの区分けである)。市販状態でサーキットでしか満足に走らない(ポテンシャルを存分に開放できない)のなら、その旨をきちんと示して欲しいと思う。

僕はレーサーに憧れてはいるが、レーサーになりたいわけではない。日常における、ほんの少しの冒険心さえ満足させてくれればそれで十分。「僕はバイクをコントロールしている」という満足感が、すぐそこにあり、いつでもそれが得られれば、それだけで十分なのである。それが僕の求めるスポーツバイクの姿である。日常で我慢に我慢を重ね、得られる快感がほんの一瞬というのは、あまりに儚い喜びではないかと思うのである。

僕のオリンピックは終わった。

福原愛選手の卓球の試合とともに、僕のアテネオリンピックも終わったのである。

>苦手なカットタイプに苦しむ 卓球女子、敗退の福原

今回の相手の世界ランク6位というのは伊達ではなかった。異様なまでに回転のかかったカットボールをひたすら打ってくる。そして粘る。粘る。神経を削り合うようなすさまじい試合。じれて決めに行った福原選手のスマッシュはことごとくテーブルの外へ。あるいはネットへ。今回の相手の得点は、そのほとんどがこのパターンだった。点を取られたのではなく、献上した形での敗退であった。根負け。確かにその面もあった。

これは福原選手の経験が、、、というのは違うだろう。齢15歳とはいえ、キャリア11年の大ベテランなのだから、彼女は。

>ただ、五輪を楽しめましたか、との問いには、
>「楽しむためにきたわけじゃないですから」ときっぱり言った。

勝負師なのである、彼女は。そして、勝ちたいのではなく、きっと負けたくないのであろう。それがあの顔、あの表情なのだ。だから、負けたくない以上は勝つしかないのである。

試合後、勝者であるはずの相手韓国選手が思わず卓球台の脇にへたり込む。すさまじい精神戦を終えて集中力が完全に切れたのであろう。

少なくとも、格上の相手をそこまで福原選手は追い込んでいたのである。勝負には完敗であったが、戦い自体には勝ちに値するなにかがあったのではないかと僕は思っている。

@@@

そして、非常に安直で申し訳ないのだが、僕は今回のオリンピックでの彼女の一連の試合を見ていて、ちょっと卓球をやってみたくなってしまっている。温泉卓球でもあの小さな台にボールを入れるのに四苦八苦なのに、あのスピードで反応するという次元!考えられないことである。
ピンポン、ではない。テーブルテニスと言われる所以がちょっとだけ理解できた今回のアテネオリンピック、卓球女子、福原選手の試合を見ていての印象であった。

[追記]

何かを得るためには何かを失わなければならない。鋼の錬金術師によれば、それが等価交換だそうだが。

>この人物のオモテとウラ 福原愛

卓球波瀾万丈である。特に両親に関わる話は初聞きであるが、いささか同情を禁じ得ない。というか父親筆頭に周りの人間がだらしなさすぎである。実質愛ちゃんが一家の大黒柱?かわいそうに。このままカネがらみでむしり取られて終わらなければ良いのだが。
しかし卓球ひとつ追求するのもなかなかに大変そうである。

やっていいならやるけれど。

>NYにネコのカフェ開店 餌専門メーカーが企画

日本でもドッグカフェとかキャットカフェとかあちこちでやってる。しかし、自分でも飲食店経営してていつも疑問なんだけど、こういうのって保健所の検査って大丈夫なんだろうか?やり方あるなら自分のとこでもやるけれど(イヌもネコも大好きだし)、でも常識的に考えて飲食とペットって食品衛生上相容れないと思うのだ。

同じように、本来的にはオープンカフェという形態も営業許可降りないはずなんだけど、なんだかなし崩しでやってるところが多い。都内は特にそうだ。
福岡かどこかが経済特区で特別に許可出してやってるはずだけど、合法的にはそういう例外扱いのはずなのだが。

僕は個人的に守るべきルールは守りすぎる人間なので、こういうのがやれるならやれるときちんとした線引きを示して欲しい。なんとなく許されているからやってるというのは道義上もよろしくないと思う。何か事故が起きたときにはきちんとやってるところまで影響が出るのだから。

肉を食らう

ovljbisn.JPGやってらんない気分の時はとりあえず肉でも食っとけ。



・・・こないだの日曜、カミさんが焼肉をごちそうしてくれた。こんなの結婚以来初めてのことである(たぶん)。何か裏に秘めたものがあるのかと勘繰らないでもなかったが、お肉はおいしくいただいた。

はじめて食べた豚トロがちょっとびっくりするくらい美味しかった。



僕は肉か魚か鶏か野菜かと訊かれたら、圧倒的に肉の人である。最近はカミさんの指導もあって多少は控えるようになったと思うが、昔、会社に入って最初の健康診断でいきなり「痛風の気アリ」と出たときにはさすがに焦ったものである。二十歳そこそこで痛風?以来十余年。それでも肉好きは変わらず、齢を重ねつつあるいまも、たまに発作的に猛烈にハンバーガーが食べたくなり、マクドナルドに飛び込んだりしている。そういう点では、最近出たマックグランは肉厚で重宝している。

(マクドナルドは食べた後にかくおかしな匂いのする汗が嫌で出来るだけ控えているけども)



とにもかくにも、肉を食えばパワーが出るのである。スポーツ選手が体力を必要としているのは、体力がないことで精神的な面から弱らないようにするという意味もある。体力=精神力である。それと同じように、僕も精神面が弱っていると感じたら、とりあえずパワーの出る食べ物を食べるようにしている。

生きる意味を見失う

僕という人間が、他人はおろか、自分自身に対してすら何の役にも立っていないと自覚した瞬間に、圧倒的な虚脱感に襲われた。



僕にはカルペ・ディエムの呪文が効かない。

目玉が真っ赤

今日で1週間になる。右目の白目の瞳から外側が出血して真っ赤である。痛くも痒くもないのだが(動かすと違和感が少しある程度)、見た目が相当グロテスクだし、気付いた人は軒並み「どうしたの?」と訊いてくる。別にどうもしない。気がついたら(というか、自分より先にカミさんが気がついた)目が真っ赤だったのである。



思い返すに先週バイクで出たときに目に埃が入って痛かったことがあるのだが、それでここまで酷い出血になるものかと驚いている。



ネットで調べてみると別段大騒ぎすることもなく、2週間もすれば自然消滅する、らしいのだが、発症後1週間でまったく状況に変化がないので、症状進行のメモとして残しておく。あまりに長引くようなら別の原因が考えられるだろう。できれば医者には行きたくないのだけれど。

それでも見ちゃう、オリンピック。

テレビ付ければやってるので、なんとなく見ている。選手や競技に感情移入して応援できるほど事前の情報が僕にはないので、せめて僕にできるのはそれくらいなのである。

そんななか、意識的に応援らしき気持ちになっているのは卓球の福原愛選手と男子サッカー、女子サッカー。このそれぞれについてはメディアが頻繁に取り上げてくれるおかげで他の競技とは違った見方が出来ている。

卓球の福原選手、通称「愛ちゃん」についてはいわずもがなである。これはもはやメディアと共に成長をしてきた選手であるので、こんな僕でも「あの愛ちゃんがねえ」みたいな感慨を抱いてしまうのである。なんたって3歳からリアルタイムで成長の過程を知らされているのである。これほどの扱いを受けているのは他には皇室の子息か五つ子ちゃんとか(←古い)くらいであろう。

しかし彼女は試合では非常に良い目をしている。集中力が満ちあふれている。第2戦のフルセットまでもつれた予選の戦いぶりには感動すらした。あの半泣きの顔つきにおいてのあの眼光である。しかも御年15である。僕はプロスポーツとは技術はさておき集中力の勝負であると考えているので、選手の善し悪しはその気迫、集中力、精神的なもので判断する。
そうした視点で見ても、今回の彼女は相当の気迫に満ちあふれている。それは「勝ちたい」という思いの具現化である。
かといって気負いはない。「当たって砕けてきます」オリンピックに臨むにあたり、彼女はそう言ったという。勝負に拘ることとそれを楽しむことのバランスを取ることは、何事に置いても非常に難しいものであるが、今大会の彼女はそのバランス取りを上手に行っていると思う。これは幼い頃からプロの世界のトップレベルで戦い続けてきたからこそできることであろう。このようなことはそうそうな大人であってもできることではない。

その面で不甲斐なかったのが男子サッカーである。サッカーは僕は普段からそれなりに見るようにしているので、オリンピックでもおのずと注目をしてしまう。
僕は初戦のパラグアイ戦は時間が合わず見ていないのだが、決勝トーナメント進出がかかった対イタリア戦は概ね観戦できた。しかしそれを見る限りのその内容は酷いの一言であった。緒戦を落とし、後がないプレッシャーからか、精神的に浮き足立ち、完全に頽れている様子がありありと分かった。

選手同士の意志疎通がまったく図れておらず、攻撃が形にならない。できたチャンスはことごとく潰してしまう。昨日今日できたチームでもあるまいに、まるで仲の悪いもの同士で組んだチームのようであった。勝つための意志レベルが選手各個で揃わず、もしこれがコンバトラーVだったらコンバインできなかったであろう。久しぶりに不機嫌に逃げ込む日本代表チームを見た。あれでは負けて当然である。

最後に女子サッカーであるが、これについては興味本位というか、たまたま見た最初のオリンピックの試合がこれだったので印象に残ったわけであるが、これまで男子サッカーの試合ばかりみてきた僕にとっては女子サッカーのそれは、攻め方守り方それぞれが新鮮でなかなかに面白いものであった。
聞けば彼女たちは普段は普通の仕事(スーパーのレジとか鍼灸院の仕事とか)をしながら練習をしてきてのオリンピックだそうである。プロとして恵まれた環境でやっている男子とは相当に違った世界での話のようである。一部補助はあるのだろうが、今回の参加費用も彼女たちはアゴ足持ちのようである。飛行機なんかも男子がビジネスクラスなのに彼女たちはエコノミーだそうである。そうした中で初戦を勝利で飾ったその一勝の価値は大きい。なんたって男子とは資金的にかかっている元手が違うのである。二戦目は落としたが、決勝トーナメントには進出を果たした。こうしてみても勝つ勝たないでは男子と比べても立場が大違いである。
なぜか監督名ではなく、「なでしこジャパン」と呼ばれる彼女たち。決勝でもがんばってもらいたいものである。

というわけで、僕はその他の競技は完全に流し見である。男子体操金メダルとか、水泳北嶋が金メダルであるとか、女子柔道谷選手(YAWARAちゃんとか書くと何故か背中がぞぞっとするのである)が金メダルとかについては、僕にとっては結果をニュースで知るのみであった。これもめぐりあわせである。たまたま付けたテレビで日本戦がやってるかやってないかで歴史的瞬間に邂逅できるか否かが決まるのである。僕の場合それがオリンピックの記憶になるのである。

もともとが運動競技に縁がないごく普通の成年男子においてのオリンピックの記憶とは、所詮この程度ではないだろうか。

[追記]

サッカーといえばこの人、フローラン・ダバディ氏である。(?少なくとも、身近な論評者としては)ここで彼の言う経験が、あのイタリア戦での日本チームの浮き足だった感じのことを差しているのであれば、僕の印象もまったくその通りである。

>選手、協会、メディア、ファン…皆よ!是非、是非生かしたい教訓…日本対イタリア!

スポーツはナショナリズムでどうにかなるものではないというのもその通りである。技術と戦略と精神力。そのレベルをいかにして高めていくか。プロスポーツにおいてはただそれだけである。神風は吹かない。

まずは雰囲気に慣れることから始めよう。

4輪では何度かサーキットも走ったりジムカーナやったりしたので、だいたいのところは判るんだけど、二輪ではいまだレーシング走行は未体験。4輪と違って二輪は簡単に転倒するから、そのリスクを考えると、現状では相対的な自分の技量も分からないので、どのあたりのレベルの走行会を導入口にするか悩む。

そこでいま目星をつけているのがこのあたり。

>筑波サーキット体験走行<無料!>

>筑波エンジョイサーキットレッスン

体験走行はなんたって無料というのが魅力である。先導車つきで5周というからそのペースと内容はたかが知れているが、いきなりフリーの走行会に参加して、周りの雰囲気に飲まれ、自分のペースも分からず無理矢理走って転倒するというのは何があっても避けなくてはならない。
しかし、これならレース観戦方々、サーキット走行の雰囲気に慣れることが出来るだろう。これで物足りないということになったら次のレベルを探せば良いのである。

エンジョイ〜はきちんと系統立てたレッスン内容になっているようで、これも自分の技量をひとつひとつ確認しながらペースを上げていくには最適であろう。座学もあって内容が充実している。ただ場所がコース1000で、狭いところを小さく走ることになるので、低速コーナリングの苦手な僕には逆に負担に感じるところもありそうである。(遅い速度でバイクを深く寝かすのが苦手なのだ、僕は。中高速コーナーのあるコースの方が逆に勢いで走れて好きである)

別に僕は必要以上に速く走ろうと思わない。自分の技量とバイクの性能の最適なバランスポイントを、サーキットというクローズドな環境で徹底的に検証したいだけである。そしてそこで掴んだ限界点をきちんと認識し、公道では絶対にその限界を越えるような走りをしないようにすることが、僕がサーキット走行に求める最たる目的なのである。

とかくサーキットというと、そこのけそこのけどこの毛だ状態で、速く走ろうとするあまりに周りのことすら省みずひたすらタイムを上げることだけに没入しがちだが、そういう走りは僕が望むものではない。

僕が求めるのは速さではない。ただひたすらに安全、なのである。タイムは転ばずにゴールラインを通過して初めて記録されるのだから。

I'd like to see MINDGAME

>マインド・ゲーム

見たい。今朝少しテレビでトレーラーを見かけたのだが、かなり良い感じだった。近所の劇場でかかるだろうか。

・・・横浜止まりか・・・。

今度は何リンピック?

というくらい、オリンピックには疎い。

もちろん、今回のオリンピックがギリシア、アテネで開かれるということくらいはニュースで見て知っているが(いまもやってる)それくらいのもので、前回のシドニーオリンピックなどは、思い返してみても見た記憶すらない。高橋尚子の金メダルもその後のニュースやらなにやらで見て、それで見たような気分になっていたわけで、競技自体はリアルタイムではまったくフォローしていなかった。僕が最後にきちんと(テレビにがぶりつくようにして)見たオリンピックは、84年のロサンゼルスが最初で最後である。

しかし相変わらずのオリンピックである。ニュースキャスターも軒並み「今回は金(メダル)はいくつ獲れるでしょう」という脳天気な予想を繰り返しているが、そういうことも個人的にはどうでもいいというか、先のアジアカップサッカーでの問題とも繋がる部分があるのだけれど、こういうスポーツイベントにかこつけた国粋主義の発露(日本は・日本人は他国に比べてこんなに優れているのだということの実証=それがメダル?)というのがどうも自分の中でうまく消化できないことが気持ち悪いのである。

もちろん、頑張れ日本という思いは僕にもあるけど、それとこれとは似て非なるもの。スポーツはスポーツ、国は国、人は人である。そのあたりががないまぜになったある種の混沌状態を楽しむのがオリンピックであると言われてしまえばそれまでだけど、僕はスポーツイベントの裏にうごめく(ある種のカテゴリに限定されるだろうけど)選手以外の、競技に参加しない、単に観るだけの人々の思惑に、決して表面化しないけれど、どろどろとした、利己的な何かがあるような気がして気味が悪いのである。*これが判りやすい形で発現すると、こないだの中国や、あるいは北朝鮮選手団みたいな状況になるのである。

まあそんなこともどうでもいいことである。

僕がいま一番感じている違和感は、開会式すらまだであるのに、現地で競技の予選はすでに始まっているという状況だ。昨晩テレビを付けるとやっていた、日本女子サッカーの試合を眺めていて、一瞬彼女らがどこで何をやっているのか理解不能状態に追い込まれてしまった。開会の宣言が無いのにいきなり試合?

>女子サッカー、日本がスウェーデン下し五輪初勝利

はいいんだけど、公式にはオリンピックはまだ始まっていないのだろう?それともはじまっているのか?よく分からない。

なんだか制作が間に合わずに、オープニングがないままスタートしたシリーズもののアニメ番組みたいな感じで、これまた見ていて歯切れが悪いというか、けじめがつかないというか、やっている選手がどう感じているかは知らないが、こんななし崩しのスタートではなんとなく気の毒である。試合は勝ったから良かったようなものの、やはり物事にはそれなりの儀式めいた順序というのがあっても良いと思った熱帯夜の夜であった。

>アサヒコム・アテネ五輪特集

[追記]

そういうものかと納得できる記事を見つけた。

>北島の「神経戦」ケンカが始まった
>どちらが優位に立つか。犬のケンカと一緒ですよ

スポーツはそれくらいパーソナルな視点で見た方が判りやすい。この話題で言えば、日本水泳界がどうとかこうとかではなく、あくまで一選手の意地と実力が、世界レベルでどこまで通用するかを確認すればいいのである。勝ち負けはあくまで結果にすぎない。

カオス理論でネコがじゃれるか。

見かけと理屈とやってることのバランスがめちゃくちゃだけど、面白い、のかどうなのか・・・。

>タカラ・じゃれじゃれにゃんこの大作戦
>じゃじゃれにゃんこの大作戦のじゃらし玉は
>カオス理論によって動作しています。

ウチのネコで遊ばせたら、1分とたたずにこいつのじゃらし玉を破壊する自信がある。狩猟モードのネコの前で、カオス理論なんか役にたつものか。(笑)

普通のラジコンのアンテナに玉つけただけじゃだめなのだろうか?

休みがない

7月の末くらいから休み無く働いている。さすがに肉体的に疲れが溜まってきたのが自覚される。日常的にカラダがだるい。眠い。どこかできちんとカラダを休ませないとまずいのだが、来るお盆休みもすでに別の仕事の予定があり、休む暇がない。おまけに毎日暑い。先日の日曜は熱中症になりかけながら働いた。眠りについた後、夜中にあまりの頭痛で目が覚めた。気付いて水分を取ったら朝には治ったが、熱中症って自覚なくそうなるんだと身をもって実証した。



こんなに頑張る理由はどこにもないのだが、体面義理立ての手前、このような状況を拒否できない。



いまはせめてそれで得られる報酬に期待するくらいしか希望はない。



僕は働くこと自体は嫌いではないが、自分の熱量を保持すること以上の仕事は本質的ではないと考えている。



生きるために働く。働くために生きる。どちらがどうではない。僕にとってそれは完全にイコールなのだ。



いまはそのバランスが崩れている。



秋になって、涼しくなったら、自分に対するこの借りは必ず返してやる。

ネコが階段から落ちたりICOやったりCBRでコケそうになったり。

<ネコが階段から落ちたり>

昨日、ネコが階段の手すりから、彼女のお気に入りの場所である、我が家で一番高いところにある明かり取りの窓にいつものように飛び移ろうとして失敗→落下。階段で顔面を強打し、下顎をちょっと切った。出血した。幸い程度は軽く、一日寝てたら治ったみたいだけど、ちょっとびっくりした。まさかネコが落ちるなんて・・・。


<ICOやったり>

いまさらながらではるが、ベスト盤になったICOを購入しプレイ中。なかなかに良い。こんな素晴らしいゲームが3年もまえに作れていたとは驚きである。やってることはメルヘンチックなトゥームレイダースという感じではあるが、その世界観、ビジュアル表現には溜息すら洩れる。しかし半端なく難しい。ゲームにありがちなお約束が少ないのでフラグヒントを探すのが一苦労。自分のゲームに臨む思考パターンを変える必要に迫られている。

<CBRでコケそうになったり>

いつもやってるように、CBRを店の中にしまおうと、デッキの階段に設置したスロープをエンジンをかけた状態で微低速で登ろうとしたところバランスを崩し、あやうく転倒しかけた。いつかやると思っていたので慌てることなく、意地で片足で踏んばり、倒すことなくなんとか持ちこたえたが、さすがに乾燥で170kg近い車重は重かった。もしあのまま転かしていたらいまごろは精神的に凹んでブログ書いてるような状態ではなかったであろう。

勝ちは勝ち。負けは負け。そしてその向こう側に見えるもの。

試合的にはアジアカップ一連の流れの中で、これまでで一番楽な展開だったと思うが。

>アジア杯決勝戦、関東地区の平均視聴率32.4%

もはやこれは単なるスポーツイベントではなくなってしまっていたからこの数字というのもあるだろうけれど、注目度の高さに見合った、日本としては最高の結果だったと思う。やはり諦めない姿勢、(あのスーパーアウェイのなかでの)安定した精神状態が招いた当然の結果であろう。途中追いつかれたとはいえ、安心して、「ピッチ上の試合については」観戦することができた。

ただ、一方でスポーツと政治的な歴史認識の問題である。個人的にはスポーツはスポーツ、歴史あるいは政治は政治。それぞれの果たすべき領分と役割はきっちりと分けるべきだと思っているので、今回の中国人サポーター(なのか?)の振る舞いには大いに憤慨(簡単に言えば怒り)を感じたけれど(決勝ではもう少し分別ある振る舞いをするかと期待していた)、しかしそれでも、あえて一歩引いて、この状況を招いた過去の日本の振る舞いというのにも一定の思考を振り分ける必要性は感じた(させられた)のは事実である。

日本の国民教育の為せる技なのか、単なる僕個人の不勉強が招いた脳天気な性格か、正直なところ、過去の戦争で日本が行った所行を「悪である」という認識はそれほど抱かず、なんの感慨すらなくあっけらかんと今日の世界を生きている僕自身がどこまで浅はかで無知なのか、今回の中国側の騒動をブラウン管越しに眺めていて、いささか奇妙な感じを抱かざるを得なかった。「日本人は鬼である」と彼の地の人民に言わしめる元凶とはなにか。それなら僕は鬼の子なのか。そして、それなら、なにをどうすれば彼らは納得してその認識を改めてくれるのか。あるいは安全で平和で非好戦主義の国、日本に暮らしているということ自体が幻想なのか。

僕は戦争を知らない。過去の国同士の争いや殺し合いは教科書に書かれた数行の内容以上のことは実感としてすら僕には認識がない。悪いのは僕なのか。あるいは彼らなのか。物事全てが善悪二つの領域にきっちり分け隔てられるものであるなら、僕は少なくとも善の側につきたいとは思うけど、そこに過去を引き合いに出された場合、いったいいまの僕に何をすればいいのかと思うと、無力感からくるある種のやるせなさ、不条理、(自分自身に対する)いらだち、怒りの存在を意識する。

と、こういう余計なことを考えさせられるハメになるから、スポーツイベントに政治色を持ち込むのは僕は大嫌いなのである。何事につけ、本筋とは違うことに思考を割かれるのは苦痛なのである。

日本はアジアカップで中国を破って優勝した。まずはその事実と喜びに素直に浸りたいものである。

[追記]
エントリーがあまりに内省的に過ぎてるのは自覚あり。普段から考えていないことを書くからおかしな方向に話が行ってしまった。

>「反日」制御できぬ中国当局…アジア杯・群衆の騒乱

反日が言論統制上の免罪符になってることはニュース等を見ていてもなんとなくわかった。いろんな不満の捌け口として使われてるっていうのも事実だろう。民主化と社会統制の板挟み。中国共産党も自分で自分の首を絞めてる。こういうことからも、民度(レベル)が低い、って話になるんだろう。実際、あのブーイングはあまりに露骨すぎて笑いすら誘うものだったし。
日本側にけが人の一人もでなかったことだけは幸いだった。

[追記2]

8/9深夜26:31-28:15
テレビ朝日系列にて「AFCアジアカップ大会ハイライト」放送予定。チェックしておこう。

それは君の勘違いだ

僕が常に何の理由もなく怒っていると思ったら大間違いである。何事にも理由があり、原因が結果を生じさせているのである。



投下されたストレスが化学的反応を経て、怒り、あるいはイライラとして発現する。



ただそれだけのことであるが、君は常にその発現した状態しか見ていないので(経過を無視しているから)、僕がいつも唐突に怒っていると思っている。



繰り返すが、それは大きな間違いである。

レプリカヘルメット?

83gv3atc.JPG>仮面ライダー剣・鈴鹿8耐Ver.レプリカモデル

ひとこと言わせていただければ、とってもとっても高いです。

それに、これを買って被ってバイクで走るユーザー層が僕にはどうしてもイメージできないのだけれど・・・。

まあいいか。

ともあれ、僕らの世代で目玉マークのヘルメットといえば、SP忠男なんだけれども(笑)

がんばれ日本。

>強い日本にジーコ批判一転 アジアカップ、7日決勝戦

最近の日本代表が強いのは、中田ヒデが抜けてるからだと思う。ヒデがいるとなんとなくチームの風通しが悪くなるような気がするんだ。「みんなもっと声を出せ!」言われると逆に周りが引いてる、みたいなさ。大御所の存在感が単なる重しになってるように思える。

そして、ジーコはこうなってしまえばもはやひとつの象徴にすぎないと思う。いるだけでいいんだ。あのタイプの監督は。

ともあれ今日の中国戦、例え厳しい展開になったとしても諦めずにがんばって欲しい。ていうか、頑張るだろうな、いまの代表なら。劣勢でも(中田がいた)昔みたいに途中でフテることがなくなったのがなによりだよ。

ちなみに、例のブーイング問題は、今日の対中国戦に限って言えば、大して問題ではないと思ってる。だって地元のチームを自国民が応援するのは当たり前だろう?サッカーでアウェイの試合で地元のブーイング受けるのは当然だ。アジアカップでのこれまでは、他国代表にあれだけ中国人が肩入れした上に、あろうことか政治問題まで持ち出して来るというレベルの低い(石原慎太郎的に言えば"民度の低い")ことをやってたから違和感というか不快感があったんだ。正味な話、これまでの重慶のサッカー会場にいたのは本当にサッカーファンなのか?

果たして今夜の試合で、中国国民がどのような振る舞いをするか。スポーツはスポーツ、政治は政治。そのあたりの自覚と節度ある行動を期待したい。

・・・無理かな(笑)だって言うに事欠いて、<こんなこと>やってるくらいだし。なんていうかね、酒飲んで暴れる口実を無理矢理探してる連中がいるみたいだから、それがこういうスポーツイベントにかこつけられるというのは残念でならない。

オリンピックも然り。時勢柄、相当以上の注意が必要だろう。

FZRで立ちゴケる。

0f5lfpc3.JPGついにやってしまった。



今朝は成り行きでFZRで仕入れに出てしまい、ナップザックに満載した15kgはあろうかという荷物を背負い、横乗りから走り出そうとステップに立ち上がったところでバランスを崩し(荷物に腕を引っ張られ、スロットルが戻せなくなってしまった)、あっけなく転倒。馬鹿馬鹿しい話だ。



走り出したところとはいえ、多少は意地で持ちこたえたこともあって、転倒自体はほとんど立ちゴケレベルに抑えたので、バイクの方も被害はほとんどなかったのだが、左に倒したところのカウルにあるウォーターポンプの出っ張りをちょっとひっかいてしまった。



バイクで転んだのは7,8年前、当時乗っていたヤマハのジールで転倒して以来だ。長くも短い無転倒記録となった。



結局これまで買ったバイクで転んでいないのは、これでCBR600RRを残すのみになってしまった。なんだかんだでこれまで所有したバイクでは大なり小なり必ず転倒してしまったな。



僕がバイクで転ぶときは、まず間違いなく心に隙があるときだ。慌てている、疲れている、焦っている、怒っている。そういう精神状況のときに限って、思いもかけないかたちで転倒する。今朝も早く仕入れを終えて帰らねばと焦っていてこうなった。自業自得である。



CBRは意地でも傷つけないぞと思ってはいるのだが、所詮はバイク。あっと思ったときには倒れるものなので、覚悟だけはしておこうか。



しかしこのところついてない。相変わらず精神的不調を引きずっている。原因は分かっているのだが、それを排除できない生活環境が歯がゆい。そんなすべてを吹き飛ばすくらい強くありたいと願う。

覚悟

自由のためなら死んでも良い。



そして



死は死んだ者にとってのみ、厳然たる事実であり、生きている者にとってそれは単なるイメージでしかない。

開いているブログ、閉じてるブログ。

そういう意味では、僕のブログは完全閉鎖型として生まれ変わった。



ブログ再開にあたっては、以前つけていたトラックバックやらコメントの機能はカットした。何か文句がある場合はメールでどうぞ(プロフィール欄に書いてある)。必要に応じて対応は考える。



僕はただでさえ外界との接触が精神的負担になるタイプの人間なのだ。自分のやってること、あるいはやってないことについて他人にあれこれ言われるくらいなら徹底的に一人でいる方を選ぶ。どうも世の中には他人の意見を平均化方向に誘導することに喜びを感じるタイプの人が多いようだが、そういうある種一元化に向けた流れは僕は個人的に非常に嫌悪する。



僕は他人にあれこれ言われるために生きている訳ではないのである。



改めて宣言しておく。僕のこのブログは、あくまで僕個人に向けた(自分→自分)のメッセージである。それ以上の意味は持たない。そもそも僕は僕でしかなく、それ以上でも以下でもないのだ。他者が不用に介在さえしなければ、僕は一人でどこまでも満ち足りた毎日を送ることができるのである。

僕が冬ソナに全く反応しない理由

まったく、いまだに冬ソナで検索エンジン経由で怒濤のアクセスあるのがたまらないんだけども。僕はあれに関しては内容その他についてまったく無関心だという立場である。良いとも悪いともなんとも思っていない(見ていないから分かるわけがない)。社会的に話題になっているから嫌でも耳に入ってきてしまうし、一応情報として抑えてはいるけど、個人的には全然琴線にかからないのである。その理由については自分でもよく分からないし、自分の興味のない事柄について思考のメモリを割くのは無駄だと考えているので、これまであえて触れないできた。

でも今日のニュースを見てその理由が分かった。

>冬ソナ歌手Ryu女性1000人と合唱

>40代女性を中心とする約1000人

朝のテレビでもやってたけど、ホントおばさんばっかりだった。それを見て、僕が冬ソナ全然ピンとこない理由が分かった。そう、そもそものターゲットに入ってないのだ、僕は(笑)

だから、蛇足までに付け加えておくと、いま月9で韓国ドラマもどきなんざやってるのは完全なる読み違い。そもそもF1層狙いのはずなのだ、あの時間は。(*F1層が何か分からなければ調べて欲しい)
案の定、思ったほど数字が出ていないのか、聞くところでは今度ペ様(ヨン様というのは都合の良い呼び方だと思う)がチョイ役で出るそうだけど、これは明かに本筋を見失ったテコ入れだろう。

同じように、某清涼飲料メーカーやビデオカメラメーカーがペ様をイメージキャラクターに据えて広告展開を打っているが、これも実効ある層に届いているかどうかは個人的には甚だ疑問である。

時流に乗るのも大切だが、読み違えるとなにかと大変なのである。

だから僕は何があってもなくても、脇目を振らずに我が道を行くのみなのである。アグレッシブに。
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