モーターサイクル>ネコ>ゲーム。僕の人生いまのところまあそんな感じ。この先もずっとそうかは分からない。web2.0時代に抗うかのように、1.0コンセプトを貫き通すBLOG。

仕事ってなに?

押井か、宮崎か。

ここんとこ連日、NHKで、押井守と宮崎駿の新作映画(スカイクロラ/ポニョ)の制作の裏側を覗く密着ドキュメントみたいなやつやってるのを見て、へえ、同じアニメーション監督でもずいぶんと作り方が違うなあなんていまさらながら思ってみたり。あえてざっくり分けるなら、押井監督はプラン先行型でシステマチック、宮崎監督はフィーリング重視の井戸掘りタイプって感じを受けた。デジタル型とアナログ型というか。どちらにも共通するのは、作品に対する猛烈なこだわり。押井監督は音と間、映像的な空間密度を重視し、宮崎監督は人物と自然の描写に対して、常人が及びもつかないような鋭い感性を見せていた。どちらももうかなりのお年で、特に宮崎さんなんか、えーと67歳だっけ?それでいまだに自分の仕事に対してあそこまでの情熱を持っているというのだけでも尊敬に値する。いやはやたいしたものである。モノ作りに対する姿勢については学ぶところがあった。もっとも、真似はできねえなとも思ったけど・・・・。

僕も一応業界が違うとはいえモノ作りに関わる人間ではあるけど、僕の日常はもう妥協の連続だもんね。自分のこだわりを成果物に入れ込む余地なんてない。時間と予算を鑑み、制作に関係する各位の思惑の、いかに高度な妥協点を探るか、そのレベルをあげるかに腐心してるだけだもん。よく仕事を「作品」と呼ぶ人がいるけど、僕は自分の関わった仕事についてはまったくもって「作品」だと思ったことがない*。そもそも僕が作り出しているのは「消えモノ」でしかないから、求められたニーズを求められる期間中果たせればそれでOKと思ってるのである。まあ、仕事のポジション的にも、僕はそもそもがクリエーターというよりはプロデュースというか単なる関係調整係でしかないので、多少成果物の着地点について「もうちょっとこっちのほうがいい」というディレクションはするにせよ、「なにがなんでもこれはこうしろ」というこだわりはないのである。あえていうなら、こだわりをもたないことにこだわってるとは言える。なぜなら僕が本気でモノ作りに対するこだわりを発揮したら、求めるレベルが高すぎて、物事が進まなくなる**からである(笑)。

*それでも過去何度か、「これは僕の作品」と呼んでもいいだけのこだわりを注ぎ込んだものを作ったことはある。いまの僕にはもうあの頃の情熱はないけれど。ていうか、自分のこだわりで物事動かすのって本当に大変なんだよ!その辛さ・大変さを多少は知っているからこそ、今回見た押井/宮崎両氏の作品に注ぎ込むこだわりについて心底感心したのである。こだわりをかたちにするのには、とんでもないエネルギーが必要なのだ。

**特に他人と一緒にやる仕事はダメだ。だから僕は本来的に僕一人だけで進められる仕事や状況を好む。この世界で、ほかの誰とも関わることなく、なんらかの仕事ができる(そうした状況が許される)なら、僕はそれなり以上のこだわりを、その仕事に注ぐことだろう。基本的に社会性に欠けているのだ僕は。僕が普段の生活で他者との間で発揮している社会性は、すべて「演技」である。

モノの作り方でより共感したのは宮崎監督の方かな。まさかストーリーの結末も決めないで、手さぐりでコンテ書きながら話を考えているとは思わなかった。おそらくはそこに水脈があるだろうという見込みの元に穴掘りを進める。まさに井戸掘り。あれは僕が昔よくやっていたやり方だ(笑)このやり方は、確かに何が出てくるかわからないワクワク感はあるけれど、先の見えない不安といったらない。その不安に押し潰されると、もう何もできなくなっちゃうんだよね。最初の見通しに誤りがあると取り返しがつかないから、なにかとリスクの高いモノ作りのやり方だと思う。しかしそれを乗り切って一本の作品に仕上げてしまうのが、宮崎監督のすごいところ、なんだろう。

押井監督は、なんつか説教好きでしょ?みたいな(笑)若い人たちに対するメッセージを込めたってことだけど、これって一歩間違えると単なる説教でしかないから、果たして作品としてどの程度その説教臭さを感じさせずにまとめているかについては気になるところではある。

ともあれ、スカイクロラもポニョも、いまひとつ個人的に引かれるものがなくて、見なくてもいいかな、DVDかテレビ放送待てばと思っていたんだけど、この二人の特集見たら、映画の方も見とかないとマズいかも、なんてあっさり洗脳されたりして・・・。何か文句言うにも、食わず嫌い・見ず嫌いじゃ話にならないしね。

でも映画二本も三本も見るのってちょっとした贅沢だよなあ・・・。こないだドラゴンキングダム見たばっかしだし、どうしようかなあ・・・。

あたまがわるいとそんをする。

教養の一環として読ませてもらった。

■経営がわかっている労働者と、わかってない労働者の格差が拡大していく理由 - 分裂勘違い君劇場
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080803/p1

なんとか論となんとか論、なんとか社会となんとか社会の対立みたいなのがあるのはなんとなくわかった。ものの見方は多種多様である。この世界に対する感じ方がその人それぞれによって違うように。右目と左目、それぞれに写る世界が微妙に異なっているように。(世界を立体的に見るには両目があってこそだが)

ただ、まあ、要するになんだね?みたいなところがわかったようなわかんないような、やっぱわかんないみたいな(笑)

出来合いの思想なり社会システムなりがあったとしたら、それを理解できるだけの「よいアタマ」があれば、あとはそれをいかに自分に都合よく利用するかしないかってことなんじゃないのかね。思想もシステムもツールだと考えれば、相手を殴り殺せる道具を手にしたら、あとはどうやってターゲットを決めて、そいつをいかに効率的に殴り殺すかみたいなさ。

右手と左手で殴り合ったら、勝つのはどっちだ。

お前はどっち側の人間なんだい?

そういう意味では僕はもう絶対的に「↓こっち側↓」の人間である。

■“インターネットは儲かる”の幻想を打ち砕く/書評『御社のホームページがダメな理由』 | Web担当者Forum
〜動画、ライブカメラ、コミュニティサイトなど最新スペックを取り入れたウェブサイト制作にコストをかけるくらいなら、チラシや看板、イベントを充実させた方が売り上げに直結する〜
〜(SEOについて)「弱点が露呈したノウハウにもかかわらず、検索で上位表示されることが、インターネットビジネスのすべてだと言わんばかりにセールストークをする業者が、非常に多いのが問題」と指摘〜

http://web-tan.forum.impressrd.jp/e/2008/07/28/3240

■ネットクチコミでバカ売れのウソ/書評『そんなんじゃクチコミしないよ。』 | Web担当者Forum
〜結論としては、『インターネットの影響力なんてたいしたことがない』〜
〜「インターネット業界にはうさんくさい人たちがたくさんいます。彼らにダマされないように、常に裏側に隠された真実を見極めてください」〜
http://web-tan.forum.impressrd.jp/e/2008/07/23/3166

僕のいいたいことは上記の書評紹介にある通り。もうね、ネット云々、クリエイティブ云々のメリットばっかり喧伝するやつ、格好つけすぎ。ホント、胡散臭すぎ。カッコいいデザインができればOK?検索エンジンで上位に表示されればOK?お前ら少しは現実を見ろって感じ。そういうセールストークばっかりやってるやつって商売の実態がぜんぜんわかってないと思う。僕も時折その片棒を担いでいるんじゃないかと自己嫌悪に陥ることもないではないけど、でも僕は、少なくとも、ネットに(ある種の)夢を託すクライアントが、きちんと現実を見据えた上で着実な施策を打てるように、自称クリエイターたちの自己満足の犠牲に、お金を出すクライアントがならないようにとその仕事に関わる際には常に胸に誓っている。僕はネットの味方ではない。なにがあろうとクライアントの味方である。クリエイターがいくらカッコつけようが、最後の最後のリスクは、お金を出すクライアント側の方で引き取ってくれているのだ(お前らいくらカッコつけようが、身銭を切ってタダで仕事はしてないだろう?)。そこに甘えて「自分の好き勝手なコンテンツ」を作るだけで、「これぞクリエイティブでござい」などと吹かすのは僕としてみれば許しがたい暴挙としか思えない。他人がひとり気持ちよがって悦に入ってる姿を見せつけられるのは気持ち悪くてしかたない。

ネットで100%の成功など保証できない。だったら、最低でもクライアントが心底納得して、たとえ満足な結果がすぐに出なくても、「やってよかった:作ってよかった」と思えるコンテンツを「作って収める=クリエイト」することが、「その筋のプロ」が行うべき仕事ではないだろうか。仕事は仕事である。それと単なる自己満足を混同すべきではない。

クリエイティブとはなにか。

目の前に穴を掘れって言われたら、そこに穴を掘ることだよ。いちいち理屈をこねる前に、黙って穴を掘ればいいんだよ。そこに穴が必要だから掘ってくれって頼まれてるんだ。だったらそれに応えればいいだけのこと。手に道具(スコップ)を持って穴を掘れ。ザッツ・クリエイティブ。簡単なことだ。

仕事とは、社会に仕えることで、自分勝手な自己実現やら自己満足をすることではない(それはあとからついてくるものだ)。他者からの要請に応じて、いかに適宜適切なものを返すか。その出来不出来によって、自分自身に対する社会からの評価とそれに対する報酬が決まってくる。

自分のクリエイティブは社会から認められないと嘆く前に、自分のやってることがどれほど社会貢献に役立っているか考えてみろ。くだらない自己満足に陥っていないか検証してみろ。

真の詩人や芸術家になる覚悟がないなら、まずは自分の手と足を動かして、どうやって社会と関わるかについて考えたほうがいい。他人から見てそれがつまらないことだろうがなんだろうが構わないんだよ。僕は前から言ってるけど、パン屋はパンを焼く、豆腐屋は豆腐を作る、それでいいじゃないか。自分の関わる仕事に自分で貴賤をつけるから、つまんないところで意地を張って他人と衝突したりあげくせっかく関わった仕事そのものをだめにしちゃったりするんだ。

職業人として、やれクリエイティブだなんだ言い出す人ほど、仕事をするにおいてのプライドのかけどころを間違っている人があまりにも多い。そういう人に関わると面倒くさくて仕方ない。てめえのクリエイティブなんか知るか。決められた時間、決められた予算の中で、最適化された成果物を納めるのが仕事だ。自分のこだわりで過剰なクオリティを望んだあげくに時間と予算をオーバーするなど、プロフェッショナルのやることではない。

報酬の在り処(あるいは働くことから得られるもの)。

これね、人が労働に対して得られる報酬としては非常に大事なものだと思うわけよ。

■[N:ネタフル] 褒められるのは現金をもらうのと同じ?
〜人は褒められると、現金を受け取った場合と同じ部位が活性化することが明らかになったのだそうです。〜
http://netafull.net/neta2008/025631.html

安くてカネにならん仕事でも、自分がやったことが「褒められれば」それを埋め合わせる一助にはなり得るわけで。
人使いが下手な(定着率が低い)会社って、ここんとこがわかってないんだよね。安い賃金で人をこき使ったうえに、やった仕事には文句ばかりつける(あるいは何も言わない)。これじゃあ働いている方にしてみれば「やってられっか!」ってことになるわけで。

人が働いたことに対する報酬には、金銭的なものだけでなく、それをしたことで「人に認めてもらえるという満足感」というファクターがある。馬鹿馬鹿しい話とお思いでしょうが、これって真実だと思う。タダでやったことに対してでも、「ありがとう」その一言だけでうれしかったりするわけじゃん。

ちなみにだけど、僕も外の人に仕事頼んだときは、可能な限り最後に「ありがとうございました」とお礼の一言を添えるようにしてる。仕上がり悪けりゃそりゃ文句のひとつも言うけど、やってくれたことに対してはお礼を言う。これは仕事を頼んだ相手には、最低限「気分良く仕事をしてもらいたい」と思っているからだ。どっちかというと僕は、仕事に対する金銭的な報酬ってのは副次的なものだと考えて「も」いる。(もちろん僕だってタダ働きはしたくないけどさ)

そして、これは公の仕事だけでなく、私の領域、たとえば家でカミさんになにかしてもらったこと(炊事洗濯その他の雑事)についても「ありがとう」と言う、ということとも同義である。これが日常に埋没してついうっかり忘れちゃったりすると、結構簡単に危機的状況が訪れたりもするんだよね(笑)。

・・・いや、笑い事じゃないのよこれ。夫婦でいることに対する金銭的な見返りが期待できないような状況(一般的にはみんなそうじゃないの?)では、互いに対する思いやりだけが最後の鎹(かすがい)になるのである。所詮他人同士である二人が、夫婦というシステムを維持していく(いかれる)というのは、つまりそういうこと(お互いの支えあい)なのだから。夫婦であるということは、否が応でも金銭的な結びつきが必然的に発生してしまうけれど、それよりも精神的な結びつきなくしては、その形態が維持できないものなのである。

・・・む、なんか柄にもなく僕はいまいいことを言ってしまったような気がするぞ。

プロフェッショナルとしての意地と誇り。

なんか僕は毎回同じことを言ってるような気がするけど、僕はあくまでプロフェッショナルを目指しているのであって、それ以上でもそれ以下でもない。どうもいまの世の中「ほかの人と違うこと」「世界にひとつだけの花」であることが過剰に評価されているようだけど、僕は普通は普通であることの意味があると思っているし、普通でありながらも「上を目指す」こと、「普通の完成度を高める」ことは可能だと思っている。

■単なるプロフェッショナルを超える、「感動を生む仕事」をする人の13の特徴 - 分裂勘違い君劇場
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080420/p1

この区分けを見ても、僕はほぼすべての項目についてプロフェッショナルに当てはまり(すべてではない)、「感動を生む仕事をする人」に当てはまることはない。それに、思うんだけど、「感動を生む仕事をする人」って自覚的に行動した結果がその仕事に結びつくのではなくて、「自然体の行動が、結果として」そうした「感動を生む仕事」になるんだよ(って書いてある)。これって後天的に獲得する能力ではない、というか、後天的に獲得しようと努力しても、それにはおのずと限界がある、と。

〜プロフェッショナルになる努力をいくら積み重ねても、「感動を生む仕事をする人」にはなれない。方向性が違うのだ。〜

まったくもってそう思う。そう思うけど、

〜「感動を生む仕事をする人」になるには、単なる努力ではなく、生き方のスタンスそのものを変えなければならない。〜

僕はそうまでして「感動を生む仕事をする人」になりたいとは思わない。僕は自分をプロフェッショナルとなるように律しているし、それ以上(あるいは別のスタンス)を望まない。それは良いとか悪いとかいう問題ではない。

〜本物のプロフェッショナルというのは、とても有能で、頼りになる。
知識があり、スキルがあり、責任感があり、決断力があり、前向きで、建設的で、戦略的で、実用的で、結果を出す。
しかし、ただそれだけだ。〜


・・・僕は先のリンク先エントリーにある「単なるプロフェッショナル」ってのにちょっとカチンときたんだよな。ふん、単なるプロフェッショナルで悪かったなと。「ただそれだけ」のことしかできずに悪かったなと。

プロフェッショナルとしての仕事をすることが最低条件*であろうに、それすら果たせずに、「感動を生む仕事をする人」にはなれないだろう?拠るべき足場も固めずに、一足飛びで人を感動させる仕事をしようなんざおこがましいぜと思うのは、すでに年取って自分の方向性を変えることに難儀するおっさんの僻み・愚痴に過ぎないのだろうか。

*僕の価値観では、プロフェッショナルであることが最低条件。それが「普通」だと思っている。

[おっさんの愚痴]
「人を感動させる仕事をしたい」というその志やよし、とは思うけど、普段仕事していて、ときどき何の技術も実力もないやつが、そういうことだけ口先でほざいているのを見かけると、ちょっとへこましてやろうかとものすごく意地の悪い自分が顔を出すことがある。いやはやまったく、僕も年取ったよなあ(笑)。

責任と権限。

これは確かにそのとおり。単に状況に流されてほいほいと仕事を安請け合いしてると、あとでとんでもない目にあうということ。

■「自分を飛躍的に成長させる状況」と「自分が潰されてしまう状況」の見分け方 - 分裂勘違い君劇場
〜その状況が、チャンスなのか、災厄なのかを決定づける要素として一番重要なのが、次の二つのバランスです〜
(1)責任
(2)権限
((3)〜実際には、それを引き受ける自分の能力や余力も考慮に入れるべきです。)

http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080417/p1

あと加えるとすれば、(4)賃金ね(笑)この4つのバランスが取れてないと、とかく批判非難の矢面に立たされるし、働いていての自分の満足感も満たされないことになる。このあたりのバランス感覚は、確かに若いうちはわかんないよなあ・・・。

若くて周りの状況が見えないうちは、変な責任感とか正義感で「俺が全部やります!任せてください!」とか言っちゃいがちなんだけど、それって場合によっては致命的なダメージを自分(にも周りにも)与える可能性がある。リスクとリワードの関係性からしても、やっただけの見返りが得られない(自分がその仕事に貢献できない)と思ったら、その用件からは潔く手を引いたほうが身のためだ。うんうん。受けた仕事は断らないことが美学みたいな考えは改めたほうがいい。

[追記]

あまりにも会社が無理難題を押し付けてくると感じる場合は、それは「あなた辞めてください」という会社側からのメッセージである。あるいは自らの極端な実力不足(についての認識不足)。いずれにしても職場環境とのミスマッチの証明。

コピーライターになりたい?

いやあこれ秀逸だわ。超ひさびさにウェブみてて幸せな気分にさせてもらった。

名称未設定 1のコピー

■電通CR&P塾 | 電通クリエーティブ塾 
「ちょっとコピー書いてみてよ」

〜広告クリエーターになるということは、 自分の企画やコピーが世の中に出るということ。
責任重大、気持ちよくて、こっ恥ずかしい。
このクリエーティブの醍醐味を、学生のみなさんに味わっていただくために、自分のコピーが世に出る、という行為を体験できるシミュレーターを製作しました。〜

http://www.interactive-salaryman.com/pieces/crp2007_j/index.html
(via:ヒニクリップ

すんばらしい。これができちゃうっていうのはアイデアと技術力だよなあやっぱ。ただ、こういうの見ちゃうと、やっぱ僕は何かを生み出すよりはそれを使ってお気楽に楽しんでいる方があってるというか分相応な感じがする。根本的な面で僕は単なるプロフェッショナルであって、クリエーターじゃないんだよなあ。

「他人にはない発想」「誰もしないことをやる」若いころはそれを目指して奮闘していた時期もあるにはあったけど、やっぱ人には向き不向きってのがあるわけで。「僕にはできない」そう思うことで楽になれた。楽になっただけだけど。なんとなく自分の人生が不毛に感じるのはそういうあきらめのせいなのかもしれない。

でもいくらがんばってもできねえもんはできねえって(笑)僕はもうちょっと普通のところで普通に勝負する。普通のレベルを日々あげるようにがんばってる。

お酒が飲めなくて本当にごめんなさい。

■痛いニュース(ノ∀`):「飲みニケーション」をしないヤツは仕事でも使い物にならない…ゲンダイ
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1108756.html

うるせっつの。酒が飲めなきゃ仕事すんなっつーのか。僕は体質的に完璧な下戸なのと、それが乗じてなのかは分からないけど、「お酒を飲む場」というのが何一つ楽しく感じない性分なので、「本当に必要がない限りは」飲み会と称する場にはほとんどまったく参加しない。だいたい酒を呑まなければ話せないことってなんだ?それと仕事のできるできないとどういう関係があるんだ?先のゲンダイの記事に寄るなら、僕はまったく仕事で使い物にならないクズのような人間だということになるな。ああそうかいくだらない。酒が飲めることが仕事ができることの評価判断の指標だとするなら、僕はそんな世界ではもはや生きていけないな。

死ぬか。

間違っているのは僕のほうか?

最近、年齢の上下を問わず、メールの宛名書きで、会社名の後に「御中」をつけるひとが(僕以外)まったく、誰一人としていないんだけど、これって僕が間違ってるのか?○○株式会社××さまだけでビジネスメールを出している人が身の回りに本当に多いんだけど、これっていつの間にかビジネスマナーが変わったのかな?なんだか不安になってきた。

てか結構な一流企業のひとでも、宛名書きや件名すらないままメールだしたりとか、はい、いいえ程度のまるで文章にもなっていない、高校生が書いた携帯メールかみたいな内容の返事を平気で返してくる人が本当に本当に多いんだけど、大丈夫なのかな。

あとはこちらの出したメールにリプライつけないで、新規メールで返答よこしたりとか、これっていちいち用件遡るのに無駄が多いし、直接連絡するときのシグニチャー(署名)が文末についてないとか、まったくもって業務上の相手に対する心遣いがまるでないと僕なんかは感じている。

メールの作法というとおおげさだけれど、少なくとも仕事でメールを使うんだったら、もうちょっと業務効率と相手の心情なり状況を察した内容にしろよと思うんだけど、そのあたり適当な人が多いことが最近とみに気になっている。僕が馬鹿みたいにいちいち細かいことを気にしすぎているのだろうか?やっぱり間違っているのは僕のほうなのだろうか?僕がもっとがんばって相手のことを思いやればそれですべてが解決するのだろうか?

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公道レースにNO!
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公道レースにNO! 石原の欺瞞をくずせ!ロードレースはサーキットという正義を守ろう!→maderv.comへ
プロフィール

Author:chihiro
単にネコとレースとゲームが好きな、しがない一般市民でございます。。。

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