なんだかよくわからん。
■道路特定財源問題について | ヤマハ発動機株式会社
http://www.yamaha-motor.co.jp/jaf-announcement20060411/index.html■みんなで考えよう クルマの税金
〜道路のために払っているクルマの税金の一般財源化には反対です
道路整備以外に使うのであれば本来の税率に戻すべきです〜
http://www.motorlife.jp/わざわざトップページからリンク貼ってるってことは、ヤマハは企業として道路特定財源の一般財源化には反対しているということか。マジか。
僕は現状の自動車に関連した税金は確かにべらぼうに高いと思うし(昨日泣きながら自動車税払ったよ!)、受益者負担の原則が鉄則だというなら、道路特定財源の一般財源化を「しないなら」、確かにその分の税金は安くすべきだと思う。逆に言えば、一般財源化をするなら、その利用途について委細詳らかにしたうえで、その配分適正が間違いのない、納得のいくものであるなら、僕は喜んで(泣きながら!)税金を払い続けるつもりである。
クルマに乗るということは、単に道路を使うということだけにとどまらない負荷を周囲(環境=日本という国、あるいは地球)にかける、ということだ。自分の便利のために、周囲に負担を強いているのだ。その負の領域に対するフォローが、仮にお金でできることがあるとするなら自動車税をそれに当ててもいいだろう。クルマを使うということから得られるメリット(単なる移動手段だけにとどまらない、走る楽しさだったりも含む)とかかる税金とを秤にかけて、ここまで高い税金払ってそれに乗り続けることが割に合わないと思うならクルマになんか乗らなければいい。そういう意味で僕は、自動車税は自らの(偽善的な)罪滅ぼし(義務を果たす行為)と位置づけているから、だからむしろ自動車関連の税金は、道路特定財源とせず一般財源化して、福祉や医療の充実や、安定的な社会保障制度の拡充にあててもらったほうが、それを無意味な道路整備や豪華な社宅やカラオケセットやマッサージ機や野球道具や温泉旅行に使われるよりははるかにマシだと思ってる。そのほうがはるかに気分がいい。
だいたい、それで言ったら、いまの利権がらみの硬直した社会構造は、すべて税金が区割りされたある種の特定財源であることから来てるともいえないか?得られた税金は、ある特定の目的のために割り振られ、なおかつそれを特定の期間内に使い切らなければならないという仕組み自体が間違っていることにみんな気がついているのにそれを変えようともしない。期末の道路工事はいつまでたってもなくならない。「変だけどそういうものだからしかたない」と諦めてる。もしすべての税金に区分けがなく、本当に必要なことに必要なだけ適正に分配できるのなら(使わなかった分は繰り越すなり再分配をするのなら!)、もっといろんな物事がフレキシブルに、無駄のないかたちで行えるはずだ。払う税金が受益者負担というなら、僕はそれを国からのサービスとして享受したいし、そのほうが税金も素直に払える。また、もし僕が自動車税として人より多く税金を払うことで、自分以外の誰かも同時に救う(サービスが受けられる)ことになるというならそれに越したことはない。
税金って、いくら呼び方を変えようと、総合的な国のインカムであることに変わりはない。仮に一般財源化されない分の税金が戻ってき(減税され)たとしても、また別の名称の新しい税金でそれを回収されてしまうだけのことだ。だったら、借金まみれのこの国で、社会保障すら破綻している状況で、もし自分の納めている税金が有効に活用される手段があるなら、それを公明正大に運用することのほうにもっと脳みそを使うべきではないのか。そもそもが税金は払いたくないなら払わなければいいという類のものではないだろう?(税金が払えなくなったら、それに属するものを手放さなくてはならない。逆にいえば、税金を払いたくなければ、それに属するものを持たなければいい。クルマに限らず、家や土地や、その他もろもろ)
誰かがどこかで得をするいまの社会構造を変えることができないなら(変えるつもりがないのなら)、いくら議論を重ねてもすべては無駄だ。そもそもが現存の国家自体がある種の搾取するために構築されたシステムなのだ。だから構造改革なんて全部嘘だ。自分が生きられれば(あるいは自分だけ得をすれば・損をしなければ)ほかのすべてはなぎ払ってもかまわないとどいつもこいつも思ってやがる。それでいいなら僕もそうするさ。自分以外のすべてをぶち壊しても、僕一人だけでも生き延びてやる。ふん。まったく生き難い世の中だ。僕の求める理想の世界には程遠い。つくづくまじめに生きるのが馬鹿馬鹿しい国だ。だから僕は極力自分の生活半径を小さくして、誰とも無為に関わらないようにしているのだ。仮に僕が僕以外の誰かと関わることで、その誰かの利益を損するとなったら、僕はあっという間にこの世界から消されてしまうだろう。それが嫌なら右手にナイフを持って血まみれで生き抜く覚悟をしなければならない。まったくなんて世の中だ。
たとえ部分的であれ、偽善的であれ、無私の思想なくしては公共社会など成り立たぬ。